「MBA」という言葉を聞いたことがないビジネスパーソンは、果たしてどのくらいいるのだろう。マネジメントの専門家たる「経営学修士(MBA:Master of Business Administration)」という存在は、日本のビジネス社会にも随分と浸透してきている。キャリアアップや新規事業の立ち上げ、新商品開発、起業などを目指し、社会人として働きながら夜間や週末に大学院に通ってMBAの取得を目指す人は多いが、自由にできる時間を割いてまで通うビジネススクール(経営大学院)には、どのような魅力があるのだろうか。
国内の数あるビジネススクールの中で、現在最も多くの学生を集めているのがグロービス経営大学院だ。MBAに特化した専門職大学院として2006年に設立され、開学時78名だった入学者数は2016年には769名となり、右肩上がりにその数を伸ばし続けている。
なぜこれだけ多くのビジネスパーソンが、グロービスを選ぶのだろうか。
「広く長い視野を持ち状況を判断する力と意思決定する際の“軸”を作る力が身につくからではないでしょうか。グロービスの授業はすべてディスカッション形式。徹底して自分の頭で考えることが求められる。」と話すのは、グロービス経営大学院で教鞭をとる昆政彦氏だ。
<昆政彦氏プロフィール> 早稲田大学商学部卒、シカゴ大学経営大学院修了(MBA)、早稲田大学博士課程修了(博士-学術)。GEインターナショナルジャパン、GE 米国本社勤務、ファーストリテイリング執行役員等を経て、現在、住友スリーエム代表取締役副社長執行役員 財務・人事・情報システム・総務担当。米国公認会計士。経済同友会幹事。著書:『効果的な企業会計システムの研究』(中央経済社)等。 |
社会人がビジネススクールで学ぶ意義
—成長を止めないために、ビジネスの全体像を知る場—
日々の仕事をこなしていく中でも、OJT(=On the Job Training)として学ぶことは多いはずだ。しかし、グロービスへ入学を希望するビジネスパーソンは毎年増え続けている。着実にキャリアを進めるためには、OJTだけでは足りないのだろうか。
「目の前にある仕事をいかに早く正確にこなすか。これは確かに会社でも学ぶことができるかもしれません。しかし、それだけでは仕事の本質的な価値が見えてこず、成長が止まってしまう。」と昆氏は続ける。
「自分の携わる仕事が持つ価値を知るには、社会や経済という大きな括りの中でビジネスの全体像を理解することが重要です。そこに自分の携わる仕事がどうつながっているかを知ることで初めて、仕事の価値がわかり、やるべきことが見えてくるのです。しかし、さすがに会社ではそこまで丁寧に教えてはくれません。この“大きな繋がり”を知る場に、ビジネススクールの存在価値があります。」
グロービス経営大学院の門をくぐるには、社会人経験が必要になる。ある程度、ビジネス経験を積んだ人でないと学べないのはなぜなのだろう。
昆氏は「大学を卒業するまで、ほとんどの人は勤務経験がありません。また、大学で教わる経営学は実践的でなく、あくまで知識のインプットが中心です。ビジネスで求められるのは知識をアウトプットし、成果につなげるための“思考力”なのです。ゆえにグロービスでは、多様な経営課題に応じて様々な経営の知識を用い、“自分の頭を使って考える力”を鍛えることにこだわっているのです」と話す。
確かに、大学を卒業してすぐの人が、仕事で直面する課題の具体的な状況を想像するのは難しいだろう。ビジネス経験のない人との議論は、知識をぶつけ合うだけに終始し、現実感を伴わない机上の空論に陥ってしまう可能性が高い。
また、様々な業種や職種のビジネスパーソンが集うことで得られる学びも重要だと昆氏は続ける。
「同じ会社、同じ業界で働く人たちとの議論だけでは、いつまでたっても斬新な発想やイノベーションは生まれない。考え方や見方を変えるには、別の視点を持った誰かが「こっちの方がいいかもしれない」と言い始める機会を得ることが大切なのです。つまり、馴染みのない人たちからの“良質の刺激”が必要なのです。」
ビジネススクールで得られるものとして、能力を磨くだけではなく、人脈の広がりを挙げる人は多いだろう。しかし、ただ色んな人と知り合いというだけでは“良質な刺激”は得られないと昆氏は言う。
「いくら人脈が豊富でも、異業種交流会や飲み会での名刺交換からイノベーションが生まれる可能性は低いでしょう。しかし、グロービスにはビジネスに対する高い問題意識や成し遂げたい志を持った人がたくさん集まっていますから、互いに与え合う刺激はとても良質です。グロービスで生み出されたアイデアを、今度は自分の仕事の中で展開することで、新しいビジネスや製品が生まれるのです。グロービスは開学からまだわずか10年ですが、実際に起業や新しいサービスが、学生同士の議論の中からたくさん生まれています。」
自分は何のため生きているのか
—「志」という生きるための軸を見出す—
他のビジネススクールにはない特徴として、グロービスには「志」系と呼ばれる科目群がある。カリキュラムマップには、『リーダーシップ開発と倫理・価値観』『企業家リーダーシップ』『企業の理念と社会的価値』といった科目が並ぶが、共通するテーマは「揺るがない使命感と高い倫理観を備えた志を養う」ことだ。グロービスは、なぜ「志」をここまで重視するのだろうか。
「グロービスの学生には「志」、つまり自分は何のために生きて働いているのか、社会に対してどのように良い影響を与えたいのか、といった判断の軸や信念となるものを常に考えてもらいます。たとえ自分が同じ会社に一生勤めるとしても、起業するにしても、判断の軸となる「志」をしっかり持っているかどうかで、能動的に働き自分の人生を幸せにできるか、もしくは受動的に仕事をやらされて終わるかが分かれてくるのです。」と昆氏は話す。
もちろん、誰もが最初から高い「志」を持っているわけではない。様々な科目で教員と学生、学生間での議論を通じて、少しずつ磨き上げていくようだ。
「例えば、『企業家リーダーシップ』という科目では、まず過去の偉人について書かれた書籍を読んできてもらいます。授業ではその内容について議論を行うのですが、決して偉人の哲学を学びたいのではありません。偉人の志を知った上で「では自分はどうか?」を問うのです。感想を発表してもらうだけでなく、「なぜそう思ったか?」といった問いを重ねていきます。すると徐々に「なぜ自分はそう感じたのだろう?」と自分の思考や価値観を客観的に捉えるようになってきます。こうした営みを通じて、自分の判断の基準としているものが浮かび上がってくるのです。」
「志」を磨くことは、自身のキャリアや生き方にポジティブな影響を与えると昆氏は言う。
「例えば、転職すべきか迷っているとします。本当に転職しないといけないのか、それとも今の会社の中で解決する方法はないのか。色んな選択肢が浮かんでくると思うのですが、自分が実現したいこと=志が明確になっていれば、迷いがある中でも周囲に影響を受けず自分で判断できるでしょうし、上司や同僚、家族など周囲の人も説得できるはずです。」
また、ビジネスパーソンとして下す判断は、キャリアが上がるほどその重要度が増し、組織に対するインパクトも大きくなる。
「会社や事業を背負う立場となれば、一つの判断が組織の命運を左右しかねません。その際に判断の軸があやふやだと、誤った方向に向かいかねませんし、部下も不安に思います。逆に軸がしっかりしていると、他人に振り回されることなく、自信を持って判断できるようになります。」
キャリアはあくまでも手段
—大切なのは「何を成し遂げたいのか」—
「志を持て」と言うは易し。だが実際に確固たる「志」を見つけるのは簡単な話ではないはずだ。そう昆氏に尋ねたところ、意外な答えが返ってきた。
「もちろん学生の中には志がなかなか見つけられない「志難民」も出てきます。でも私は「どうして志が見つからないの?とは言えない立場でして・・・」
そこには、昆氏の実体験が大きく関係している。
「私がグロービスの学生と同じような年の頃には、志なんてしっかりと立てていなかったんです。30代にMBAを取得するまでは、ずっと企業のCFO(最高財務責任者)になりたいと思っていました。そのためには外資だ!MBAだ!と考えキャリアを歩んできたのですが、よく考えればそれは目的でなく手段だった。このことにCFOになってから気づきました。では、私が目指していたものとはなんだったろうと考えるうち、だんだん志が明確になってきたのです。もちろん志を明確にすることは大切ですが、まずその大切さに気づき、「何のために働いているのか?」という問いを意識しているだけでもよいと思っています。」
昆氏は現在、スリーエムジャパンで取締役副社長を務める実務家でもある。教育者と実務家、どちらの立場から見ても、幸せな人生を生きることに大切なのは成し得たい目的=志と、そのための手段を切り分けて考えることだという。
「社会に対してどのような良いインパクトを生み出していくのか。自分が何を成し得たいのかという明確な意思を持って行動してほしい。昇進や起業、転職など、これらはあくまでも手段です。目的を押さえることが先で、手段にはあまりこだわらないでほしいですね。」
社会人にとって、自分のキャリアを考えることは重要だろう。しかし、キャリアを考えることが=志を達成するための手段だと捉えることはあまりないのではないだろうか。仕事を通じて、自分は何を成し得たいのか。自分の考えや価値観の奥底にあるものを探りだすことで、今まで気づかなかった新しい自分に出会えるかもしれない。
取材後記
取材を通じて、終始繰り返された「志」という言葉。普段目の前の仕事に追われると、自分が何のために働いているのか見えなくなるのは誰しも一度くらい経験しているのではないだろうか。大きな夢を語るのではなく、身の丈にあった「志」を見つめ、社会という大きな枠組みの中で自分が携わる「部分」の意味を考える必要性を強く感じた取材となった。
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