共和政ローマ時代の古代建築、ポルトゥヌス神殿(出所:Wikipedia)

(アイオワ州デコラより)ポピュリズムは長い間アメリカ政治史を彩ってきた。左派のヒューイ・ロングから右派のジョージ・ウォーレス、そして最近では1992年のロス・ペローや、今日のドナルド・トランプがポピュリズムの立役者たちだ。

 しかし、ポピュリズムの起源は、古代共和政ローマの衰退が始まる時期まで、およそ2000年を遡る。

 共和政ローマは、その歴史の大部分において、古くからの政治一族や影の実力者たちによって支配されており、彼らは大衆をどう服従させるかをよく分かっていた。

 選挙は行われていたが、その選挙は、大衆の最大獲得票が支配階級のものになるように意図的に設計されたものだった。選挙制度を始めたローマの貴族たちが要職の職員を選んだとしたら、その職員が下位階級によって投じられた票を数えなかったこともざらであっただろう。

 折に触れて、不満を抱く農家や居酒屋の店主、ロバ乗りたちは立ち上がり、支配者に債務免除を迫ったり、政府内部に声を届かせたりようとしたりしてきた。しかしこういった反抗は、支配階級が来るべき良き時代を約束したり、非番の剣闘士を何人か雇ってトラブルメーカーのボスを抹殺したりすることによって、すぐに鎮圧されていた。紀元前2世紀末、グラックス兄弟は政府内部から政治革命を起こそうとしたが、保守的な貴族たちに暗殺されて終わった。