「バチカンがタカを飼う」、カトリック誌の遅いエイプリルフール

ローマ法王が平和のシンボルである鳩を2羽放ったところ、カラスとカモメによって相次いで殺されてしまった。そこでバチカンでは鳩を守るために鷹を飼うことにした――。このようなエイプリルフールの記事も登場〔AFPBB News

 毎年4月はエイプリル・フールにちなんで「うそ」に関する話題を考えることにしています。

 エイプリル・フールは「嘘をついてよい日」ということになっていますが、なぜそれ以外の日は「嘘をついてはいけない」のでしょうか?

 例えばコンピューターはあまり嘘をついてくれません。マイクロソフトの人工知能公開実験TayでAIが「ヒトラーは正しかった」とか人種差別を肯定する発言を始め、大慌てで公開を中止したという報道がありました。

 これは、一般参加者が悪い言葉を教えたり、おかしないたずらをしたのが直接的な理由ですが、与えられた情報を疑いもせず信じて「学習」してしまうAIの愚かさがよく出ている点がまず第1に興味深い。

 と同時に、コンピューターは合理的に考えるわけですが、ナチスの政策も非常に多くが合理的なんですね。高齢者や障害者は生産性が低い。生産性が低い人間は・・・といった具合に話をどんどん切り詰めていく。

 人間だと、そうはいかないわけですね。仮に本当のことでも「それはちょっと・・・」という惻隠の情とかが混ざり込んでくる。

 だから「非効率」にもなるけれど「常識的」だったり「倫理的」だったりもする。コンピューターの直截さは、むしろ非人間的で愚かなことになりやすい。

 で再び考えてみます。なぜ人間は「嘘をついてはいけない」ということになっているのか?

 あるいは4月1日はどうして「嘘をついてもよい日」とされているのか?

不倫の倫は倫理の倫

 「なぜ嘘をついてはいけないか?」

 法律で決まっているから、でしょうか? そんなこと、ないですよね。もちろん「****不実記載」といった法律違反はあるでしょう。しかし、日常生活で起こり得る多くの場面での「嘘」は、必ずしも法律で禁止されているわけではない。

 奥さんの手料理がいまいちでも「・・・ん? お、おいしいよ」と言う嘘を禁じる法律はないし、「お父さん、赤ちゃんはどこから来るの?」「サンタさんはどこからやって来るの?」といった子供の問いに「それはね・・・」と適当な答えで返しても法律では罰せられない。

 そういう「罪のない嘘」ならいい、という議論もあり得るでしょう。ではしかし「罪のある嘘」「罪のない嘘」というのはどこで区切られるのか。再び「法律」でしょうか?

 「あなた、私のこと、愛してるの!?」「・・・・う、うん」

 こんな局面の嘘は、むしろ罪深いものだと思いますが、これを禁止する法律は存在しないでしょう。