医師の個人的経験や権威づけに基づく医療から、科学的な試験や調査で得られた「根拠に基づく医療」(EBM:Evidence Based Medicine)へ。医療界はここ20年で大きく変わってきたかに見える。

 実際、医療の基本的な考え方や常識は塗り替えられている。

 前回は、東京都健康長寿医療センター副院長の桑島巌医師に、高血圧の話題を中心に話をうかがった。単体の病気として高血圧を捉えるのでなく、糖尿病や喫煙などの他の危険因子とともに総合的に血管病を予防する「トータル血管ケア」の重要性が言われてきているという。

 こうした医療に対する概念の変化は、EBMが進められていることの表れとも言えるだろう。解明されていなかった点が試験や調査で明らかにされ、それが実際の治療法をも変えているのだ。

 しかし、EBMには、危うい点もあるようだ。

 薬の効果や安全性を調べる臨床試験の実施者は、基本的には製薬メーカーが担う。試験をして不利な結果が出てしまうと、薬の売れ行きに悪影響を与える。そこで製薬メーカーは、実際は不利な結果が出たとしても、どうにかして「この薬はやはり効き目がある」というイメージをつくろうとすることが起きかねない。そうしないと、売れる薬にはならないからだ。

 さらに、臨床試験の実施者である製薬メーカーと、協力者となる医師との「結託」も問題視されている。

 8月に日本脂質栄養学会が「コレステロールは高い方がよい」という指針を出した。その背景に、製薬メーカーと医師との「結託」への批判が見え隠れしていることは、前編で触れた。

 治療法の「根拠」をつくるカラクリとはどのようなものなのか。後編では、「薬」に焦点を絞って、引き続き桑島医師にお話をうかがう。高血圧治療の世界では、効き目の乏しい薬が「効き目がありそうな薬」として大々的に宣伝されてきた事例もあるという。

 EBMが歪められることに対して警鐘を鳴らすため、桑島医師は今年3月、「臨床研究適正評価教育機構」(J-CLEAR)という団体を立ち上げた。団体が目指すものや、活動の内容などもうかがった。

 

効き目がないことが分かった「鳴り物入り」の薬

── 著書の『9割の高血圧は自分で防げる』では、現在、使われている降圧薬の特徴などを説明していますね。そもそも降圧薬はどのように血圧を下げるのでしょうか。

桑島副院長(以下、敬称略) 作用の仕方で大きく分けると2種類があります。

 1つは、「利尿薬」と呼ばれるものです。尿を出すことで血流を少なくさせ、血管への負担を減らす(血圧を下げる)という薬です。利尿薬は、長い目で見るととても効果があります。

 もう1つは、「血管拡張薬」と呼ばれるものです。血管が細く狭まっていると、それだけ血流から受ける血管の圧力が高くなります。そこで、血管収縮物質のレニン・アンジオテンシンの働きを抑えることで血圧を下げるわけです。ACE(エーシーイー)阻害薬や、直接的に血管を開いて強力に血圧を下げるカルシウム拮抗薬がその代表例です。どちらも80年代後半に登場した薬です。

── 古くから使用されている利尿薬やβ遮断薬の他、90年代からは血管拡張薬が次々登場し、降圧薬の種類が多くなってきました。それだけ製薬メーカーがいろいろな新薬を開発してきたということですね。でも、予想されたほど「効き目がなかった」薬もあったということですが。

桑島 2000年代に入ってから、「ARB」(Angiotensin II Receptor Blockers:アンジオテンシンII受容体阻害薬)という降圧薬が、いわば鳴り物入りで登場しました。レニン・アンジオテンシン系に対して、その受容体に先回りしてブロックする薬です。

今年3月に「J-CLEAR」を発足させた桑島医師

 レニン・アンジオテンシンは血圧を上げる以外にも血管の壁や心臓の筋肉を傷害させるとの多くの実験成績がありましたから、その作用を受容体レベルで完全にシャットアウトすることで脳卒中や心筋梗塞がパーフェクトに予防できるとの大きな期待がありました。

 製薬メーカーは、そのARBの長期にわたる有効性、すなわち脳卒中、心筋梗塞などの予防効果をカルシウム拮抗薬と比較する大規模な臨床試験を行いました。しかし、残念なことにARBがカルシウム拮抗薬と比べて優れているという結果を導き出すことはできませんでした。

 製薬メーカーはそれで引き下がるわけにはいきません。その結果、試験の副産物として発表された「糖尿病によい」「心室細動によい」などの、血管病予防効果以外の「おまけ」効果をさかんに宣伝してきました。

 製薬メーカーに莫大な利益をもたらす新薬を「ブロックバスター」などと呼びます。ARBは2000年代の高血圧治療におけるブロックバスターでした。

 

 けれども、臨床試験が行われていくうちに、そのような効き目がないことがだんだんと分かってきたのです。

 それには、やむを得ない事情もあります。日本をはじめとする先進国では、血管病の予防薬として「抗血小板薬」や「スタチン」といった薬が普及していました。いずれも血管中の血栓の発生を抑える薬です。

 これらの薬は、日本ですでに多くの高血圧患者に投与されていました。その結果、心筋梗塞などの症状が発症しにくくなっていたのです。

 そんな状況の中でARBの臨床試験が行われましたから、心筋梗塞などの発症を抑えるという効果がよく分からなかったというわけです。

過剰な商業主義には警鐘を鳴らすべき

── ARBに関する製薬メーカーの宣伝には疑うべき点があったということですね。どうしてそういうことが起きるのでしょうか。

桑島 製薬メーカーは自社製品を売らなければ、企業として存続できません。そこで、薬を売るために、効き目があるという証拠、つまり「エビデンス」をつくることが重要になっています。

 そのエビデンスづくりに、何千人規模の患者に薬を試してもらうような大規模臨床試験を行います。当然、膨大なお金がかかるわけです。

 そのような社運が懸かるような薬が、フタを開けてみたら比較対象の偽薬(プラセボ)と効果に差が出なかった、となったらどうなるか。

 何とかしてメーカーは薬の効果を宣伝しようとします。結果が出た後でもコンピューターを駆使して、その薬の優位な点を探そうとします。

 例えば、誰が見ても明らかに分かる心筋梗塞や脳卒中などでなく、狭心症や心不全といった、医者の判断で診断が左右されるような症状を、薬の効果の対象に含めるといったことが起こり得るのです。

 製薬メーカーが商業主義に走りすぎると、試験の客観性が失われてしまいます。「根拠に基づく医療」(EBM)が医療界に浸透してきましたが、同時に「商業主義に基づく医療」(CBM:Commercial Based Medicine)の台頭に対しては常に警鐘を鳴らさなければなりません。

 

製薬メーカーへの「牽制」がなぜ必要なのか

── 桑島先生は今年3月、「臨床研究適正評価教育機構」(J-CLEAR)という団体を発足させました。発足の経緯にはそのような背景があったのですね。

桑島 「J-CLEAR」という名称は、「Japanese Organization of Clinical Research Evaluation and Review」の頭文字をとったものです。現時点で会員は153人、協賛団体は10団体になっています。

 会の名称には、臨床試験の企画段階から結果の評価段階までが「クリア」であるべきだ、という意味が込められています。今までは、あまりに製薬メーカー側に偏った臨床試験が多かったのです。

 活動としては、例えば、医学生や若い研修医などに向けた、統計解析の見方や解釈の方法、論文の読み方などの講習があります。また、今年7月には「臨床試験成績の内的妥当性と外的妥当性を考える」というテーマでワークショップを開きました。

 医療従事者だけではなく、製薬メーカー社員へのレクチャーも行っていきます。薬や臨床試験のことを、より正しく理解してもらえればと思っています。

 協賛団体には製薬メーカーも入っていますが、協賛企業に何か有利になるようなことは一切ありません。

── J-CLEARのような団体が今まで日本になかったということは、逆に驚きでもあります。

桑島 製薬メーカーに対して「おかしな宣伝をするなよ」と牽制し続けていくことは、真のEBMを定着させるために非常に大切なことです。

 しかし、今まで日本には、第三者が中立の立場で客観的に臨床試験を評価し、製薬メーカーに「もの申す」仕組みがありませんでした。これは、日本の社会的な特徴なのかもしれません。

 米国には「UpToDate」という、中立の立場から医療情報を提供する団体があります。英国にも「コクランライブラリー」という、世界的に認知された医療文献検索データベースなどがあります。そのように、特定の組織からの影響を受けずに、情報を発信する組織が、やっと日本にもできたということです。

 私は、J-CLEARのような団体が誕生したことは、日本の医療界のみならず、社会全体にとっても大きな意味があることではないかと思っているんです。