私は2年以上モスクワに戻らなかった。1カ月前に戻ってみると、真っ先に空気中に非常に馴染みのある何かを感じた。一種のデジャブ(既視感)のようなものだ。それは私たちが1990年代に覚えていたのと同じ感覚だった。
なぜ90年代に戻ったように感じるのだろうか。そんなことを考えていたら、本当に驚いたことに、「90年代の島」と題したフェスティバルがモスクワ中心部で開かれるという話を聞いた。
なんて奇妙な偶然なのか!
90年代に入った時、私は大学生で、続いて大学院生になり、新たに受け入れられた「資本主義」の下で働くようになり、資本主義の負の側面を体験した。明るい面は1つしかなかった。私は若く、エネルギーに満ちていたのだ。
若者が経済自由化を歓迎した時代
いずれにせよ、私たちの世代は、ソ連共産党中央委員会の年寄り連中に我慢がならず、大きなロマンと希望を胸に抱きながら、この新たな時代を受け止めていた。ある日、ラジオ局の新人ジャーナリストだった私は、経済を専門とする同じく20代半ばの同僚女性とともに第1次エリツィン政権で首相(代行)を務めたエゴール・ガイダル氏をインタビューすることになった。
何しろガイダル氏はエリツィン政権下で急進的な経済改革を断行した中心人物だ。 取材に向かう途中、私たちは2人で大いに盛り上がった。ガイダル氏は取材当時はすでにロシア首相(代行)を退任して、経済研究センターの所長に転じていた。
ガイダル氏のオフィスに入ると、彼は暗い顔をし、疲れた様子でテーブルに着いていた。当時、あらゆる人から厳しい批判を浴びせられており、自分のことを捨てられた人間だと思っていたに違いない。
だから、私たちは部屋に入り、最初にこう切り出した。
「ガイダルさん、インタビューを始める前に、頬にキスしてもいいでしょうか?」
意表を突かれ、「何のために?」と問う彼の目に、私たちは期待感を見て取った。
「経済自由化の対価です」というのが、私たちの返事だった。
すると、ガイダル氏は満面に笑みを浮かべながら、「もちろん!」と言って、機嫌よくテーブルから立ち上がった。