平成13(2001)年に明石市で2つの大事故が発生した。7月21日の事故は、明石市民夏まつり花火大会で死者11人、負傷者247人の大惨事となってしまった。
次いで年の瀬が迫った12月30日、大蔵海岸の人工砂浜が陥没した。当時4歳の少女が生き埋めとなり、意識の戻らぬまま翌年5月に亡くなるという痛ましい事故となった。私は、平成16(2004)年春、陸上自衛隊を退官して明石市役所に入庁。以来6年半が過ぎた。
1. 自治体に求められる防災安全体制
連続して発生した事故を受けて、平成15(2003)年春、新たに選出された北口寛人市長(現在2期目)は、2つの事故を教訓に、安全安心のまちづくりを市政の最重要課題として位置づけ、危機管理体制の強化に取り組み始めた。
私の役職である防災安全担当理事を設けたのもその一環である。
背景には、阪神・淡路大震災などの地震や台風のほか、今年も全国各地に大きな被害をもたらした短時間局地豪雨による水害や土砂災害が頻発していることが挙げられる。
また、従来の鳥インフルエンザに加えて昨年流行が始まった新型インフルエンザ、今年は宮崎県の口蹄疫が約10年ぶりに発生し、宮崎県をはじめ牛肉や中国向け粉ミルクの輸出禁止などを受けて、日本全体にも大きな被害をもたらした。
そのほかプールや遊具の事故など、市民の暮らしを取り巻く様々な危機に行政が対応を迫られる場面が増加している。また、その対応は全庁的に、かつ迅速性が求められている。
従来の担当部局の「縦割り」対応では限界があり、全国の各自治体でも職員削減の一方で、危機管理専門のポスト、部署の新設や充実強化が求められるようになった。
防災安全担当理事は、不測事態の予防や対応のため、庁内の総合調整を行いつつ、その中心的役割を担うとともに必要に応じ各部局に対し助言・指導を行う立場にある。
再開された明石市民まつりの安全対策、平成16(2004)年秋の4度にわたる台風への対応、本市では初めての不発爆弾処理、明石海峡船舶衝突事故による油の汚染防止対策、沈没船からの油の抜き取り、そして昨年の新型インフルエンザ対策など、大小様々な場面で真価を問われる。