ニューヨークで開かれている国連総会の演説で安倍首相は、日本政府がシリア難民問題に協力し、8億1000万ドルの資金援助を行うことを約束したが、難民の受け入れについては「国際社会で連携して取り組まなければならない課題だ」と否定的だった。
内戦の続くシリアからは500万人が出国し、トルコには200万人が入国した。今後、ヨーロッパ各国への入国申請は100万人を超えると予想されている。「日本も難民を受け入れるべきだ」という声もあるが、これは単純なヒューマニズムで片づく問題ではない。
「アラブの春」で内戦と混乱が始まった
EU(ヨーロッパ連合)の首脳会議は、イタリアとギリシャに滞在しているシリア難民12万人について、ハンガリーなど東欧4カ国の反対を押し切って、各国への割り当てを決めた。EUが多数決で決定を行なうのはきわめて異例だ。それぐらい、この問題は複雑な「歴史問題」を背負っているのだ。
シリア内戦の直接の原因は、2010年にチュニジアで始まった「アラブの春」と呼ばれる反政府運動がシリアにも波及したことだ。チュニジア、エジプト、リビアなどでは独裁政権が倒れたが、シリアのアサド政権は反政府勢力を弾圧し、これまでに17万人の死者が出たと推定されている。
アサド政権はロシアの支援を得ているため、内戦は容易に決着しない。これに対してアメリカのオバマ大統領は、国連総会の場で行われた米ロ首脳会談でアサド大統領の退陣を求めたが、ロシアのプーチン大統領は譲歩しなかった。
「アラブの春」の原因は、湾岸戦争以降、欧米諸国がアラブの紛争に介入し、特にイラク戦争でアメリカがイラクを武力で「民主化」したことだ。欧米的デモクラシーがアラブ社会に広がった結果、独裁政権に対する反乱や革命が続発した。
しかし結果的には、独裁政権を倒した後に生まれたのも独裁政権だった。特にイスラム原理主義が勢いを増し、アラブ民族主義(というより部族主義)が強まった。民主政治が機能するためには、さまざまな条件が必要だ。法治国家のインフラや議会制度、人々の文化的な同質性など、どれを取ってもアラブ諸国には備わっていない。
さまざまな宗教や言語をもつ部族を統治するには、よくも悪くも一定の独裁が必要だった。それをアメリカが破壊した結果、独裁が無政府状態になった。それでも内戦が終わった国はまだいいが、「シリアの春」は当分終わりそうにない。