終戦から70年を迎えるこの節目の年に、東アジアのすべての人は戦争について反省し、不戦を誓わなければならない。東アジアの情勢は決して安定していないからである。
日本では、安倍政権が憲法の解釈を変えることで、集団的自衛権の行使を可能にしようとしている。本来ならば、集団的自衛権だろうが個別的自衛権だろうが、いずれもその国の主権に関わる問題であり、外国政府や外国人がとやかく言うべきではない。だが、歴史とは連続的なものである。東アジア域内において中国と韓国は、日本政府に対して繰り返し過去の戦争についての反省と謝罪を求めている。70年前に戦争は終わったが、東アジアにおいて戦後の処理はまだ終わっていないと言える。
日本政府は、集団的自衛権を行使できるようにする理由として周辺事態の変化を挙げている。だが、中国を刺激しないよう、あえて中国を名指ししていない。しかし、安保の専門家でなくても、新安保法制の目的が中国への対策であることは明々白々である。
米軍が敵国に攻撃された場合、日本の自衛隊に守ってもらうような場面が本当にありえるのだろうか。日本の本音としては、日本が中国の脅威にさらされた場合、日米安保条約で約束されている米国の軍事的支援は不十分であるから、日本自身も防衛力(軍事力)を強化する必要があるということであろう。