フィデル・カストロが、キューバ革命の原点とも言えるハバナ大学で、久しぶりに「名物」の長時間演説を行った。

豊かな生活求めて亡命が絶えないキューバ

キューバのサトウキビ畑

 往年の切れ味こそ失われていたものの、自らが死の淵をさまよう重病だったことを明かし、2001年9月11日の世界同時多発テロ後のグローバリズムなどについて、相変わらずの米国批判を行っていた。

 とはいえ、キューバの経済的苦境は今も変わらず、米国をはじめ海外への亡命という手段で成功を求める者は後を絶たない。

 昨年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本優勝への最大の関門とも言われていたキューバ・ナショナルチームのエース左腕アロルディス・チャップマンも、大会数カ月後、遠征で訪れたオランダであっさり亡命してしまった。

 そして、総額3000万ドルという資本主義の権化のような高額契約を米国球団シンシナティ・レッズと結んだのだ。今年8月にはメジャーリーグデビュー。時速170キロに届こうかという速球を投げこみ、「世界最速の男」として米国野球界の話題作りに大貢献している。

 WBCの中南米チームは米国で活躍中の選手たちが中心となって構成されていたが、米国と敵対するキューバでは、キューバ人選手が米国の球団で活躍することは許されない。

亡命を受け入れない日本には安心して選手を派遣

 それだけにキューバにとっては、海外大会の際にチャップマンのような選手の“逃亡”に常に気を配っている必要がある。

 2002年にキューバからの派遣研修という形で、プロ野球球団中日ドラゴンズにオマール・リナーレス、社会人野球シダックスにオレステス・キンデラン、アントニオ・パチェコというキューバ黄金期を支えた主力がそろって在籍したことがあった。

 容易に亡命者を受け入れない日本という国ならではの安心感がカストロにもあったのだろう。こんなところにも国際社会における日本の立ち位置へのヒントが見えてくる。

 1961年、革命後の混乱の首都ハバナから多くの人々が亡命して行く場面から始まるキューバ映画『低開発の記憶』(1968)には、変わりゆくキューバの生の姿が描かれている。