東北の被災地では、4年前の巨大津波の爪痕を消し去ろうとするかのように、各所でそれぞれに山を削ぎ落とし、低地に土を盛り上げて四角い「高台」を築く大規模土木工事が進められている。青い海と緑なす山が接していた美しい風景を覚えている者には痛々しく感じるほど、土が剥き出しになっている。いずれ人工の植生の緑に覆われるのだろうけれども。中央に伸びる真新しい舗装路は、鉄道線路をBRTの専用道路に転換したもの。落橋など鉄路の構造物が破壊されている区間では、バスは一般道に出て他のクルマに混じって走る

 「2011年3月11日」から4年の節目を迎えて、日本の様々なメディアが様々な話題を取り上げたが、私も折に触れて現地に足を運び、特に自らクルマで移動しつつ復興の状況を直に見て考えるようにしている。

 復興に向けた大規模土木工事は確かに各所で進められてはいる。しかし太平洋に面して南北に広がる広い地域で、津波によって生活の場がそれこそ「根こそぎ」破壊されてしまった。それを地盤から再建しようとしているのだから簡単には進まない。被災し、避難した多くの人々の生活は、いまだに「仮の住まい」が続いている。

人工地盤の上に街が復活するのはいつになるのか

「復興が進んでいる」としてメディアがしばしば取り上げる事業のほとんどは、被害の跡をいったん更地にして削り、あるいは膨大な量の土を盛って、新しい「土台」を作るプロセスである。現地に足を運んで見渡すと、その多くは「人間の力で地表の姿を変えてしまう」ことに挑んでいるのではないか、と思えるほどのものだ。

 そうやって造成された人工地盤の上に、日々の暮らしが営まれる「街」が復活する(実は新たに生まれる)のは、まだまだずっと先のことになる。つまり土木的に基盤を作るのだけでこの先2~3年、その上を街区に整え、ようやく人々が自分たちの家を建てる段階に入る。いつになれば「家が建てられる」ようになるのか。大きな被害を受けた後、街全体で大規模な再建プロジェクトが動いているところでも「早くて2017年か18年」であり、小さな集落で被災した人々の中からは「まだ測量にも着手していない。いつ帰れるのか分からない・・・」という声も聞かれた。