カンボジアのテレビには、なぜあんなに不可思議な映像が流れているのか、これまで私なりに分析してきた。

 そこから、色々なことを”私なりに”理解したのであるが、この連載の第1回で書いた「クメール語が理解できなくても、彼らが創った映像を見れば、彼らが大体どんな道筋で物事を理解し、どう考えているのか、少なくともどんな風に考えるように教育されてきたかが想像できる」というのを、まとめてみるとこんなことになるのだと思う。

1.上意下達のカンボジア社会にあって、社会的地位の高い人から認められることは一番の名誉である。だからカンボジアのテレビニュースには、常に儀式・式典映像ばかりが並んでしまう(通常、日本のテレビマンは、「儀式・式典の映像ほど絵にならないものなない」と言って避ける傾向にある)。

2.出版文化や出版物そのものが破壊されてしまったために、物語を構築するのが難しい。

3.映像表現に客観と主観があることが理解できないため、曖昧な映像で表現しようとする。また、自分の主観的興味に素直なので、対象物ばかりを主観的に撮影・編集してしまい、回りの状況がよくわからない。

 つまり、これらが彼らの考える道筋の全てではないが、一部がこうして映像に表れるのである。

図画工作を経験したことがないカンボジア人スタッフ

 さて、今回は、こうした事情を踏まえた上で、「ABUデジスタ・ティーンズ」の準備を通して見えてきたことを書いてみたいと思う。

デジスタ・ワークショップの模様。(写真提供:筆者、以下同)

 7月にデジスタに参加する学生たちを集めてのワークショップを開催した。ワークショップでは、学生たちがデジタル映像作品を制作するのに必要なツールの使い方やストーリーの組み立て方など、いわば「映像の基本」を教える。

 メンター(指導者)として、カンボジア在住のアニメーターでありデザイナーである中村英誉さんが2Dアニメーションを担当、そして、わざわざ日本からコマ撮りも手がけるクリエイター・青木純さんをNHKが派遣してくれたのである。

 2Dアニメーションの場合、専用ソフトをコンピューターにインストールし、それを使いこなせるようになると画面上に絵を描き、そしてそれを動かすことができるようになるのだが、コマ撮りの場合には、画面に登場する造形物を創って、それを1コマずつ静止画(写真)で撮影していかなければならない。

 つまり、自分たちの手を使って、まずは手作りで造形物を創らなければならないので、その造形物を作るための材料が必要なわけです。

 ということで、青木さんが日本からやって来る前に、その造形物の材料として私たちが揃えておかなければいけないのは、粘土、画用紙、水彩絵の具、色エンピツ、クレヨン、糊、ホチキスなどなど・・・といったものだった。