ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ教授は、かつて自分の著書“Whither socialism?”の中で、「社会主義体制でも短期的に資源を集約させ経済成長を実現することができる」と述べたことがある。この指摘は1950年代前半に旧ソ連で実現された経済成長に依拠したものである。
スティグリッツ教授のこの指摘を踏まえ、中国国内の一部の研究者は「改革開放」政策以降の高成長が社会主義の優位性を実証していると主張する。果たして社会主義体制は、資源を集約して経済成長を実現する比較優位を持っているのだろうか。
社会主義をどのように定義するかにもよるが、1949~76年までの毛沢東時代の社会主義体制を考察すれば、その経済運営は明らかに失敗であった。当時、農業、工業とサービス産業のすべては崩壊してしまった。
無論、毛沢東が行った経済運営は必ずしもマルクス、レーニンが提唱した社会主義と合致しないところが多い。
中国人歴史家の研究によれば、毛沢東はマルクスの本をほとんど読んだことがないと言われている。これこそ悲劇の始まりだったのかもしれない。マルクスとレーニンが提唱した社会体制が社会主義であるとすれば、それを読んだことのない毛沢東が中国で推し進めていたのは何だったのだろうか。
農村も都市部もいまだに封建社会
冷戦の終結で社会主義の実験はすべて失敗に終わった。中国はその前から、「改革開放」政策の導入で毛沢東路線と決別している。今となっては中国が社会主義でないことは明白であるが、資本主義でもない。では、中国社会をどのように定義すればいいのだろうか。
今の中国社会には様々な要素があるが、その権力構造と国民の意識から捉えてみると、中国は依然として「封建社会」であると言わざるを得ない。
極論すれば毛沢東時代の中国では、農民は農地を国に奪われ、都市部へ自由に行くことすらできない「奴隷」のような存在だった。毛沢東時代の中国が奴隷社会の末期に相当していたとすれば、今の中国社会はまさに封建社会の段階である。