平成26(2014)年の大相撲夏場所は、久々に満員御礼の日が続いた。遠藤や勢ら新力士の活躍で盛り上がり、また終盤には髷を掴む「禁じ手」が関心を呼んだ。
禁じ手がほんのわずかだからこそ、小兵があの手この手を使って大横綱を倒す妙味も生まれ、観客は拳を握りしめ、力士の奮闘に喝采し留飲を下げる。
「危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め(る)」と宣誓している自衛隊(員)は、大規模災害で活躍し信頼を得てきた。しかし、PKO(平和維持活動)や本来任務の遂行に当たっては「禁じ手」ばかりで、中国の尖閣諸島領海侵犯や邦人救出などで十分な対処ができない。これでは国民の負託に応えることができない危惧がある。
現実に向き合わない日本
危惧を強く感じてきたのが安倍晋三首相で、第1次内閣のとき「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を立ち上げた。しかしその後たな晒しにされ、ようやく5月15日に答申を受け取った。
この日を機に集団的自衛権の行使容認に絡む国会論戦が一段と熱気を帯びてきたが、無用な煽動や反対のための反対など、真摯に問題に向き合おうとしない議論も多い。
容認反対の政党、マスコミなどは、「戦争する為の憲法解釈見直し」であり、「戦争に駆り出され、死者が出る」「他国のために自衛隊の武力が使われる」などと主張している。
また憲法改正が非常に困難であることを承知で、行使容認のためには憲法改正が筋であると主張する。すなわち、戦争巻き込まれ論や死亡者続出論を振りかざして国民を誤導し、憲法改正を主張して行使容認を阻止しようとしているわけである。
前社民党党首の福島瑞穂氏はかつて、「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思わない」(「産経新聞」平成24年18月31日付)と述べ、村山富一元首相は5月25日の明治大学における講演で、「戦争をしないと宣言して丸裸になっている日本を、どこが攻めてくるか。そんなことはあり得ない。自信を持っていい」と語っているが、論外である。
社民党はロマンティストかもしれないが、国際社会の現実を直視していない。韓国に行って国辱的発言をするのではなく、尖閣諸島周辺や南シナ海で起きている事象を自分の目で確かめるのが先決ではないだろうか。
日本が採るべき姿勢は、安倍首相が言うように「現実に起こり得る事態への備え」であり、その為の法整備等を粛々と進めることである。
「抑止力」の向上は喫緊の課題
日本の対処能力の向上には2つの視点から考える必要がある。
1つは抑止力を高めて偶発事案を低減させること。中国軍が自衛艦に射撃用レーダーを照射したり、自衛隊機や艦船に異常接近する事案が頻出している。国際法や慣習を無視した違法行為であるが、自衛隊は有効な対応策を採ることができない。
こうした違法行為に対して自衛隊が対応できるようになっておれば、抑止力が機能して逆に違法かつ危険な行為が防止されることになる。