フクシマからの報告を続ける。今回から、福島第一原発の南側10~20キロにある福島県双葉郡富岡町を訪問した報告をする。2011年3月11日に津波で破壊された翌日、原発事故の放射能汚染のために町民約1万4000人が避難、今もほぼ全域が無人になったままの町である。
これまで私は同原発の北西側にある飯舘村、南相馬市、川俣町、浪江町を中心に訪問しリポート記事を書いてきた。同年3月15日に流れ出た放射性雲(プルーム)で起きた最も深刻な放射能汚染地帯が北西側に広がっているからである。しかし、南側の被害が軽かったわけではない。富岡町は町全体が半径20キロの「警戒区域」にすっぽりと入ってしまったため、津波や地震で破壊された痕を片付ける間もなく、翌日早朝に町民は避難せざるをえなかった。2012年1月に遠藤勝也町長にインタビューした縁があって、ずっと富岡町のことは気になっていた(「信じてはいけなかった『国を信じてください』の言葉 原発2つを抱える富岡町長が語る避難計画のずさんさ」)。2014年5月中旬、いわき市を拠点に富岡町を回ってみた。町は津波や地震で破壊されたまま、時計が止まっていた。街は雑草とホコリに覆われて朽ち果てていた。原発災害の悲惨さを思い知った。
町全体が立ち入り禁止の「警戒地区」に
いわき市でレンタカーを借りて高速道路(常磐道)を北に走った。2012年7月に福島第一原発正門まで行った時には「広野」インターチェンジで高速はぶった切られていた。いまはもうひとつ北の原発寄り「常磐富岡」まで行ける。先はまだ不通のまま。そこで行き止まりだ。常磐富岡インターを降りるとそこはもう富岡町だ。
ところが、広野インターの手前あたりから、前後にまったく車が見えなくなった。たまにいても、除染関係の工事車両ばかりである。だんだん心細くなってきた。ふと見ると、高速道路わきに「この地点の放射線量 2.02μSv(マイクロシーベルト)/h」という電光掲示板が点灯している。ぎょっとした。こんな高速道路表示が世界のどこにあるだろう。さらに進むと「常磐富岡IC手前4キロ地点の放射線量 2.83μSv/h」という表示が現れた。まだ福島第一原発は10キロ以上先なのに、である。
高速道路を降りる。料金所の男性が「ここでいいんですか」と何度も何度も聞く。なにしろ降りたらそこは、無人の放射能汚染地帯である。おまけに町内を立ち入り禁止区域の境界線がぶった切っているせいで、ほとんどの道路が途中で封鎖されて行き止まりになっている。除染の工事車両以外に、このインターで降りる客などほとんどいないのだろう。