21世紀は情報化の時代である。情報化時代の戦争は、従来の「消耗戦」に代表される戦車・艦艇・航空機といったプラットホーム中心の戦い(PCW:Platform Centric Warfare)ではなく、ネットワーク中心の戦い(NCW:Network Centric Warfare)と言われている。
NCWの言葉を初めて使ったのは、1998年、当時米海軍のN6(宇宙・情報戦・指揮統制部長)の配置にあったアーサー・セブロフスキー中将*1である。
彼はよく講演などで、「NCWの有用性を最初に大きな海戦の場で証明したのは、日露戦争における日本海海戦で勝利した日本海軍であり、勝利の要因は情報・通信ネットワークの形成と無線電信機の適切な運用にある」と語っている。
そこで、NCW構想創案の端緒ともなった日本海海戦について、海戦時、情報・通信ネットワークがいかに形成され、無線電信機がどのように運用され、そして、それらがどのように勝利を導いたかを探ってみたい。
まだITなどという言葉が生まれるはるか以前に、それも100年も前にネットワーク中心の戦いが繰り広げられていたことには、改めて驚かされるばかりである。
1. NCWの概念
目次
- 1. NCWの概念
- 2. 日本海海戦の概略経過
- 3. 日本海海戦時の情報・通信ネットワーク
- (1)有線ネットワーク・インフラストラクチャー
- (2)軍用水底線
- (3)無線電信機
- (4)海軍望楼
- 4. ロシア海軍の電信事情
- (1)ポポフ式無線電信機
- (2)バルチック艦隊大回航
- 5. 勝敗の要因、NCWの視点から
- (1)情報・通信ネットワークの形成
- (2)ロシア側情報・通信ネットワークの遮断
- (3)通報艦の活躍
- (4)ロシア海軍指揮統制上の問題
(1)背 景
1991年に勃発した湾岸戦争において、イラク軍は地上戦で米国を中心とする多国籍軍よりも戦車と兵員の数で優っていたにもかかわらず、驚くほど簡単に敗退した。
多国籍軍のイラク軍に対する攻撃は、偵察衛星などであらかじめ把握していた指揮中枢および情報・通信ネットワークの拠点に対し、精密誘導兵器などにより攻撃を加え、指揮・統制機能を無力化することから始まった。
このため、イラク軍司令部は多国籍軍の攻撃規模や現場の状況を把握できていなかったし、司令部の命令は前線の部隊には届かなかった。本格的地上戦闘が始まる前に、イラク軍は組織的戦闘力を失っていたのである。
多国籍軍とイラク軍の決定的な違いは、情報力と技術力の差にあった。多国籍軍は、イラク軍の配備、動静など必要な情報は事前に把握しており、かつ戦闘時期・場所を任意に選択でき、準備が整ったところで主導的に戦闘を開始した。
プラットホームの数量および武器の性能が戦闘の勝敗に大きな影響を与えるとした従来の戦闘モデルは、湾岸戦争では適用できなかったのである。
その後、米国は、コソボ紛争、「9.11同時多発テロ」後のアフガニスタン戦争、イラク戦争などを通じて、戦争の形態が確実にPCWから情報化時代に相応しい戦争形態へ変容しつつあるのを認識するに至った。
(2)NCWとは
NCWとは、情報化時代の戦い方の概念である。概念の基本となるのは、「戦闘力を構成するセンサー、武器、意思決定者をネットワーク上で一体化することにより高い戦闘力を生み出し、さらにはネットワーク内で情報を共有することにより、情報優位を創出し、最終的には戦闘の優位を獲得」しようとする考え方である。
セブロフスキー中将は、NCW構想を実現するうえで次の3要件が特に重要であるとしている。「情報優位(Information Superiority)」「迅速な指揮(Speed of Command)」および「自己同期形成(Self-synchronization)」である*2。
「自己同期形成」とは、下位指揮官が上位の指揮官の意図に合わせ主導的に行動すること、さらには、組織に使命が与えられた場合、その組織を構成する各部隊・個人が組織の使命達成のため、一斉に同期して行動を起こすことを言う。