福島第一原発事故から3年以上経っても放射能汚染のために無人のままになっている福島県飯舘村と川俣町の山間部を5月上旬に訪ねた。当初の目的は、原発事故以来ずっと四季の自然を写真で記録している飯舘村のサクラを撮影することだった(拙著『福島飯舘村の四季』双葉社)。ちょうど、福島第一原発事故でも最も濃度の濃い放射性プルームが通ったルートをなぞる格好になった。この地域では、田畑や山林の表土をはがす除染作業が本格化していた。除染で出た莫大な量の「放射性廃棄物」が山野のあちこちに積み上げられ「核ごみのピラミッド」が出現していた。
山村で行われていた除染作業
福島市でレンタカーを借りて、国道を東へ向かった。市街地を抜けるとすぐ、道路は阿武隈山地のなだらかな上り坂を上がる。
福島市から阿武隈山地を越え、太平洋岸に抜ける国道114号線(富岡街道)を通った。川俣町から峠を越え、飯舘村南部に入るルートをたどるつもりだった。飯舘村の中でも、汚染のひどい南部は「長泥」集落が封鎖され、道路がバリケートで寸断された。この路線が村に入るいちばん分かりやすいルートになった。
2011年3月15日、福島第一原発2号機から流れ出た放射性物質の雲(プルーム)は、太平洋からの風に乗って北西に移動し、ちょうどこの国道114号線の上のあたりを北西に流れていった。「その日は雨が降っていた。午後ごろから雪に変わった」と住民は証言している。この阿武隈山地周辺に到達したあたりで、放射性物質を帯びたチリは、雨や雪になって地表に落ちた。飯舘村や川俣町の「山木屋」「津島」などの山間部の集落が周囲よりも強い放射性物質で汚染されたのは、そのときの影響だ。村人が避難したままの飯舘村をはじめ「立ち入ってもいいが、居住は許されない」地域がこの周辺に集中して広がっている。
福島市を離れ、山間部を走っていくと、標高が上がるにつれ、平野部ではすでに散ったサクラが次第にふくらみ、満開になっていくのが分かる。東京より約1カ月遅い。山は新緑のライムグリーンで彩られている。農家の庭をスイセンやヤマブキの黄色がふちどっている。東北の山村に春が来たのだ。運転しながら、うっとりと見とれそうだった。
しかしすぐに、気づいた。風景がどこかおかしいのだ。あぜ道だけ残して、田畑が塩を流し込んだように白い。3年間通い続けた山村の風景が、この冬を挟んで変化している。
道端に車を止めて気づいた。白い塩田のように見えたのは、真新しい砂が田畑に流し込まれているのだ。山の斜面からは木立が切り倒され、下草や灌木も刈り取られている。そのせいで、暗かったはずの山肌がやたらに明るくスカスカに見える。毛髪が抜けた頭のようだ。