ニッケイ新聞 2014年4月30日

 4月30日は伯国が生んだ歴史的な作曲家、歌手として知られるドリヴァル・カイーミ(1914~2008年)の生誕100周年にあたる。それを祝し、エスタード紙は27日付の文化欄「カデルノ・ドイス」で7頁にわたる特集記事を組んだ。

 特集の最大の見ものは、ジャーナリストのズーザ・オメム・デ・メロ氏が伯国音楽の批評本「ア・エラ・ドス・フェスティバル」用に1988年にカイーミ自身に行なったインタビューが掲載されていることだ。そこには、1914年にバイア州でカイーミが生まれてから出世するまでのことが書かれている。

 それによると、カイーミはギターの名手だった叔父のシシ、大親友だったゼジーニョの2人から大きな音楽的影響を受けており、さらに地元バイアのラジオでシルヴィオ・カウダスやフランシスコ・アウヴェスなど、20年代の伯国の人気歌手の歌を聴いてきたことが大きかったという。

 1930年代になってバイアのラジオ局にも出入りするようになったカイーミは、38年に当時伯国の音楽の中心だったリオに渡り、「オ・キ・エ・キ・ア・バイアーナ・テン」を書いた。この曲を米国に渡って成功する直前のカルメン・ミランダが映画「バナナ・ダ・テッラ」で歌い、大ヒットして一躍有名となる。

 インタビューでは、最愛の妻で歌手だったステラさんとの出会いやカイーミ自身の文学や絵画の好みのほか、後に共演するジョルジェ・アマードやポルチナリなど、伯国の文学、芸術史を代表する人物との交流についても語られている。

 カイーミは1940年代以降、サンバの一線作曲家となり、アントニオ・カルロス・ジョビンなどのボサノバの音楽家らにも多大な影響を与えるが、50年代からはその野太い声を生かし、歌手としても活躍。その世界観はバイア出身者らしく、海をテーマにした港湾労働者のものが多かった。

 そうした「男らしさ」は家庭内でも貫かれた。カイーミは仕事以外で音楽を聴くことは一切なかったというが、娘のナナは歌手を希望。それが「女は嫁入りするものだ」と考えるカイーミとの断絶を生んだが、ナナは歌手として成功する。

 ナナは今回のエスタードの特集でそのことを回想した記事を寄せた。また、ナナだけでなく、息子のドリ、ダニーロ、孫娘のアリスも歌手になっている。

 特集では、歌手のジョイスやミルトン・ナシメントもそれぞれの人生にカイーミがいかに影響を与えたかを綴っている。

※注:伯国=ブラジル

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