集団的自衛権を巡って、安倍内閣が目指す憲法解釈の変更に反対論も根強い。いくつかの世論調査によれば、反対派が若干上回っている。そこで登場してきたのが高村正彦自民党副総裁だ。高村氏が着目したのが「砂川事件」での最高裁判決(1959年12月16日)だ。

 砂川事件というのは、1957年7月8日、立川基地の拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り禁止の米軍基地内に立ち入ったとして、日米地位協定に基づく刑事特別法で起訴された事件である。

 一審では、東京地裁の伊達秋雄裁判長が米軍駐留は憲法違反であり被告全員無罪との判断を示した(59年3月30日)。これがいわゆる伊達判決である。しかし、最高裁大法廷は原判決を破棄した。

 高村氏が着目したのは、最高裁判決の次の一文である。「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」。つまり同判決は、個別的、集団的と自衛権を区別していないのだから、集団的自衛権でも、「日本の存立を全うするための措置」なら、憲法上行使が可能だというわけである。知恵者の高村氏らしい着想である。

 高村氏は、もともと外相、防衛相などを歴任したように外交や安全保障に精通していることで知られている。自民党内でも意見がまとまらない案件などがあった時には、なるほどと思う知恵を出してきた政治家だ。

 もう相当前になるが、中国へのODA(政府開発援助)が自民党内で問題になったことがある。“中国の経済発展も進んだし、感謝もされないのだからODAを打ち切ったらどうか”という意見が噴出した際も、「九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)」と発言して、その鎮静化に努めたものだ。九仞の高い山を築くのに、最後の一杯の簣(もつこ)の土を欠いても完成しない。転じて、長い間の努力も終わりぎわのわずかな失敗一つで完成しないという意味である。

 話を戻す。高村氏の立論はなかなかの説得力を持っている。ただそうだとすれば1981年の政府見解以来の「集団的自衛権は保持しているが、行使はできない」という立場と整合性が保てなくなる。私は、以前から主張していることだが、81年以来の政府見解の誤りをはっきり認めてしまってはどうかと考えている。その方が迷路に入り込んだような集団的自衛権論議が余程すっきりする。

1960年代は限定容認論だった

 以前も指摘したことだが、そもそも軍事同盟というものは、集団的自衛権の行使を大前提にしている。軍事同盟の1つである日米安保条約も同様だ。

 1951年にサンフランシスコ平和条約と同時に締結された旧安保条約は、その前文で「国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」と述べ、個別的自衛権、集団的自衛権を前提として締結されたことを明記している。1960年に改定された新安保条約も同様の規定を明記している。

 これらの条約に基づいて米軍は日本に駐留してきたのである。1951年当時は、旧安保の前文が、「日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない」と述べているように、日本に軍隊は存在しなかった。それでも集団的自衛権を明記したのはなぜか。それは基地提供そのものが、国際的には集団的自衛権の行使と見なされることがあるからである。

 この点について、1960年の安保改定国会で当時の岸信介首相もはっきり認めてきた。

 「一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えています。・・・他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうものはもちろん日本として持っている」(1960年3月31日、参院予算委、岸首相)

 非常に明解である。日米安保条約は、日本の集団的自衛権行使を前提として締結されたのである。

 当時の岸内閣の集団的自衛権論議は、その後の自民党政権の議論よりもはるかに精緻なものであった。例えば、当時岸首相や赤城宗徳防衛庁長官は次のようにも答弁している。

 「実は集団的自衛権という観念につきましては、学者の間にいろいろと議論がありまして、広狭の差があると思います。しかし、問題の要点、中心的な問題は、自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵略されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中心的な問題になると思います。そういうものは、日本国憲法においてそういうことができないことはこれは当然」(1960年2月10日、参院本会議)

 「日本が集団的自衛権を持つといっても集団的自衛権の本来の行使というものはできないのが憲法第9条の規定だと思う。例えばアメリカが侵略されたというときに安保条約によって日本が集団的自衛権を行使してアメリカ本土に行って、そしてこれを守るというような集団的自衛権、仮に言えるならば日本はそういうものは持っていない。であるので国際的に集団的自衛権というものは持っているが、(中略)第9条において非常に制限されている」(1960年5月16日、衆院内閣委)

 まさに今日における限定容認論であった。この議論は60年の安保改定の際の議論だが、日米間で軍事同盟を結ぶ以上、当然の帰結とも言うべき議論がなされていた。

護憲派は日米安保も破棄しろというのか

 共産党や社民党など、いわゆる護憲派の人々は集団的自衛権を限定的に容認することに反対している。では共産党などは、本当に日本はこれまで集団的自衛権を行使してこなかったというのだろうか。

 例えばベトナム戦争を見てみよう。アメリカの太平洋軍司令官が「沖縄なくして、ベトナム戦争を続けることはできない」と語ったように、日本の米軍基地は米軍にとって、重要な出撃拠点だった。ベトナムにその力がなかったため反撃を受けなかったが、沖縄が攻撃されてもやむを得なかったのである。まさに集団的自衛権の行使そのものである。

 最近でもアメリカによるアフガニスタン攻撃、イラク戦争など、日本は兵站部門で重要な役割を果たしてきた。「兵站なしに戦争はできない」と言われるように、日本はこれらの戦争で米軍に大いに貢献してきたのである。

 もし真剣に集団的自衛権の行使に反対するのだとしたら、すでに行使されている現状をどう捉えるのか。またその根源となっている日米安保条約をどうするのか。このことを明確にすべきだ。

 集団的自衛権を行使しない最大の保証は、日米安保条約を廃棄することだ。そして全国にある米軍基地を一気に撤去することだ。簡単な話なのである。共産党ならこれこそを喫緊の課題に掲げるべきであろう。

 だが2013年の参院選政策を見ると日米地位協定の改定、日米安保の強化に反対、日米安保の是非を議論などと言うのみである。なぜか。日米安保の廃棄が現実的でないうえに、国民の支持を得られないことを知っているからだ。こんな卑怯な立場で集団的自衛権の行使反対と叫んでも、力を持たないのは当然である。

共産や社民は「個別的自衛権」にも事実上反対

 では「個別的自衛権」についてはどうか。個別的自衛権とは、日本が急迫不正の侵害を受けた時、それに反撃する権利である。

 共産党や社民党は、自衛隊は憲法第9条に違反する軍隊だと位置づけている。違憲の軍隊なのだから、当然、自衛隊を解体・解消するというのがこれらの護憲を売り物にする政党の主張だ。要するに丸腰日本にしようというのが、これらの政党だ。自衛隊が解消された後、急迫不正の侵害があった時、共産党や社民党はどうしようというのだろう。

 個別的自衛権を実質的なものにする最低限の要件が、自衛軍を持つことだ。憲法は変えない、自衛隊は解消する、という両党の立場は、自衛権を放棄するというのが実質的な主張の中身なのである。

 こんな無責任な政党に、安全保障など任せるわけにいかないことは明瞭だ。