中国は経済発展とともに、鄧小平の国力に応じ、できることを目立たぬよう、着実に積み上げるという「養光韜晦」戦略を離れ、適宜、蓄えた実力を一挙に発揮する「大有作為(積極有所作為)」戦略に移行している。

 その基本戦略は、軍事力を基盤とする対外強硬方針にある。特に、海軍力増強による東シナ海、南シナ海への海洋進出や防空識別圏の一方的な設定は、その例であり、アジアの緊張を高め、武力紛争生起すらいとわない態度である。

中国が経済成長以上に軍事力を拡大する理由

 これは、東アジアだけでなくインド洋における行動も、軌を一にし、インドなどと国境だけでなく海洋でも対立し、さらにオーストラリア近海まで海上訓練を拡大、同国の警戒感を高めている。

 なぜ、中国は強硬な姿勢をとるのか。その原因は近代史における受難の歴史と伝統的中華思想にある。

 中国は、世界四大文明発祥の地であり、それは漢民族の誇りである。自身を文明の中心とする中華思想のもと営々と築き上げた民族の政治、経済、文化は19世紀半ば「アヘン戦争」で英国に蹂躙され、じ後、西欧列国の植民地として簒奪された。

 さらに、1894年の日清戦争によって、それまで絶対的に優越を信じていた「東夷」の日本にも敗れ、「眠れる獅子」から「張り子の虎」と称されるようになった。

 孫文の辛亥革命によって近代化を企図したものの、指導層の内紛、国内の混乱などで明治維新のような成果は上げられなかった。この間、西欧の権益拡大と日本による大陸進出などでさらに混迷と混乱の極に達した。

 第2次大戦後、国共内戦を経て、毛沢東が指導する「共産国家」が成立したが、なお国力は増進せず、米国による「封じ込め」、ソ連とのイデオロギー、領土対立など軍事、政治、経済的にも苦難の歴史を刻んだ。

 その中にあっても自主開発による核武装を推進した。1971年、台湾政府に代わって国連の安保常任理事国になるとともに、70年代後半から、鄧小平が経済優先の「改革開放政策」のもと、世界第2位の経済大国に躍進する基礎を作った。

 じ後、経済発展に伴い、核戦力を基盤として陸上戦力、ミサイル戦力を増強、近年は空母建造、原子力潜水艦など海軍戦力を強化し、軍事的にも世界に確固たる地位を占める大国に成長しつつある。

 中国は、その軍事力をさらに拡充、近代化し、それを背景として、19世紀以降、アジアに影響を及ぼした西欧主体の「既存の秩序」から新しい「アジアの秩序」を目指し始めているように推察される。

 その根底には、自国がアジアでは政治、軍事、経済、文化などすべての面で頂点であるべきという伝統的「中華思想」がある。