(米「パシフィックフォーラム CSIS」ニュースレター、2014年20号)

By Grant Newsham

 安倍晋三首相の“右翼”的政策の結果、日本が中国との紛争にアメリカを引きずり込む恐れがあるとの懸念が強まっている。安倍総理の見解には進展ないしは楽観的な根拠となるものと同様にそのような懸念の裏付けとなるものが併存しているため、その発言は全体として正しくとらえなければならない

 安倍首相の取る行動の中には、とりわけ靖国参拝は日米同盟を重視する人々にとって不可解であり、また失望させるような行為も見受けられる。また、それと同じくらい正当化するのが困難なのは、NHK会長や日本政府関係者による、従軍慰安婦に関してならびに第2次世界大戦中とそれに至るまでの10年間における日本の行動に関するお決まりの挑発的なコメントである。

 しかしながら、彼らの思考の背景を理解すれば、それらの行動はそれほど不可解とは言えなくなる。

 安倍首相ならびに一握りの日本の支配階級は、日本は戦争によってアジアでの白人支配を打倒し有色人種を解放するという高貴な行為を遂行した(筆者の言葉ではなく彼らの言葉)と信じている。さらに彼らは東京戦犯裁判(訳注:極東国際軍事裁判)は違法であり、南京大虐殺ならびにその他の“申し立てられている蛮行”は単に“申し立てられている”に過ぎないと考えている。そして、たとえ日本が何らかの過ちを犯したとしても、戦争中には誰によってもそのような過ちは犯されるものだ、と論じているのである。

 安倍首相やそれら一部の日本の支配階級は、日本がこの“自虐”史観(筆者の言葉ではなく彼らの言葉)を受け入れている限り、日本はその独立と尊厳、すなわち日本自身の自尊と他国による尊敬、を回復しないであろうと考えているのである。したがって、安倍首相の靖国訪問のような行動は、現在の日本政権は過去の謝罪と“罪”の告白は受け入れがたいということの発信であり、それらは日本を抑制する“自己屈辱”に反駁しようという行為なのである。安倍首相はそのような行動を取ることは道義的リーダーシップであると考えており、それらの行動が批判を巻き起こしても実施する価値があると思っているのだ。

 安倍首相とその支持者たちの見解のうちほとんど認められないことの1つは、第2次大戦で日本が敗北したこと(彼らは日本が騙されたと信じている)ならびに占領されたことに対する彼らの憤激である。同様に厄介なことは、日本の憲法が(それに民主主義も!)アメリカ人によって押し付けられたものであるということである。