文革とは政治エリートと一般庶民の双方が参加する政治闘争だった。当然ながら、その後遺症は中国社会全体に及んでいる。(前回の記事はこちら)
4、文革の後遺症
証言:党員となり、幹部となれば、祖国建設に参加し、それによって人民に奉仕することができるはずだった。文革に参加した時も、同じような態度だった。それは党への奉仕の一環だった。・・・しかし「奪権」によって、何を得ただろうか。何も得なかった。散々利用された後、用がなくなったというので、捨てられたようなものだ。悔しくてたまらなかった*1(青色部分は筆者が附した、以下同じ)。
私は中国人ではなく、また文革期に中国にいたわけでもない。だから、親友・恋人に裏切られたり、肉親・近親者が虐殺されたり、自殺に追いやられたり、さらには自分自身が極寒の僻地に10年近く下放されたりした中国人の「心の苦しみ」など実感できるはずもない。その意味では私には文革の後遺症を語る資格はない。実体験がない以上、想像するしかない。
(1)人によって異なる苦しみ
被害者の苦しみ
証言:Q、血縁社会である中国は、文化大革命で子が親を密告などをしたが、その後遺症はないのか?
A、階級闘争をして、人間不信になった。文化大革命が終わって後遺症は大きかった。人間関係の後遺症は大きな問題で残っている。都市部は、家・があまり一緒に過ごすことが、少ないのでそれほどでもないが、農村は家族が一緒に過ごしているので、後遺症が大きかった。*2
被害者の多くは自殺している。生き残った者の中で典型的な問題は文革の被害者が長く患ったであろうPTSD症候群である。PTSDは古くはベトナム戦争の帰還兵、最近の例では阪神淡路大震災の被害者のものが有名であるが、ポルポト時代のカンボジアを除けば、中国の文革期ほど長期的かつ継続的にPTSD症候群が発生した例はほかにないかもしれない。
加害者の苦しみ
証言:こういう状況では、何らかの過ちを犯すのは避けられない。だが、意図的にやったわけではない。私はズバリものを言う性格だが、暴力を振るわなかったことはみんなが知っている。しかし出身の悪い「黒五類(地主、富農、反革命分子、悪質分子、右派分子)」はしっかり摘発し、批判にかけた。・・・いつも革命委員会主任の私が批判大会を組織し主宰したわけだが、これは私の過ちだった。私は人を殴ったりはしなかったが、批判大会は組織しないわけにはいかなかったのだ。*3
加害者だって苦しんだに違いない。若かったとはいえ、人を死に追いやることの罪悪感は一生消えないだろう。文革期の回想でも自分の犯罪行為を赤裸々に語ったものはほとんど見られない。とても記録に残せるものではないだろうと思う。
さらに複雑なのは、文革期には加害者が批判されて被害者になったり、被害者だった人々がその後加害する側に回ったりするケースが続出したことである。そうした場合の複雑な心理は、基本的にはPTSDと罪悪感の混合なのだとしても、一概には語れないだろう。
(2)中国人はいかに苦しみを克服したのか
文革の被害者については、現在多くの人々が躊躇しながらも当時の経験を率直に語り始めており、個人差はあるものの、文革期の苦しみは徐々に過去の出来事になりつつあるようにも見える。
一方、加害者だった人々の口は今も重いが、表面的には平静を保っているようだ。恐らく彼らは、悩みに悩み抜いた挙句、当時の記憶を無意識のうちに封印してきたのではなかろうか。*4
*1=「紅衛兵だった私」G.ベネット、R.モンタペルト、山田訳、日中出版 p267
*2=中国Q&A
*3=文革当時高校三年生だった元紅衛兵とのインタビュー:人民日報インターネット日本語版(趙宏生 運輸公司社長 五十三歳)
*4=この点は「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と呼ぶ日本人の心情にも通ずるものがある。「大東亜戦争」を封印しようとするのは、何も戦争を正当化したい人たちばかりではない。