恐ろしい妖怪などに追いかけられ逃げ切れない夢を見たときや、勝負事で大損をする夢などを見た時、夢の中で夢であってほしいと思ったり、間違いであってほしいと思った瞬間に目覚め、ホッと胸をなでおろすことがある。
そうした事象に遭い、夢が覚めた後に、もし、「はい」が「いいえ」(反語と言われる)に、「いいえ」が「はい」となる価値観の転換が起こればどうなるだろうか、なってほしいと一瞬思う。同時に、そうなった場合の価値観や価値体系はどうなるのだろうかなど、愚にもつかない思いを巡らすことがある。
中華思想がもたらす「愛国虚言」
ところが、現実世界でこうした反語や虚言が国家的規模で行われている。ほかならぬ中国と、李氏朝鮮時代から小中華を自認して中国に臣従してきた韓国である。李朝下の伝統を色濃く残す北朝鮮も同様であることは言うまでもない。
儒教では指導的立場に立つ偉人や賢人(双方を「君子」や「士大夫」ともいう)が過ちを犯せば社会の安定が損なわれ動揺が起きるとされる。
君子とはいえ神ならぬ身であるので、過ちを犯す。そのため社会の安定を保つためには、君子の過ちを隠してでも威信を保持しなければならない。
国家もしかりで、国家の醜い出来事を隠し、過ちも覆い隠すことが中国人の基本的な義務になっている(林思雲『日中戦争 戦争を望んだ中国 望まなかった日本』「中国人の歴史観」)。
また、君子の過ちを隠せば威信が保全できるように、功績を誇大に讃えてその威信を高めるのも、国家の安定を保障する1つのやり方であるという。この場合、敵方の残虐行為などを誇張して貶めることは自国を高めることと表裏一体である。
北京オリンピックで日本人作曲のテーマソングを流しながら中国人が作ったように見せかけ、口ぱくで歌い手を誤魔化した行為などは、諸外国からはインチキの誹りを免れないが、中国(人)の判断基準では国家の威信を高める行為にほかならず、許される行為であったということになる。
毒餃子事案や尖閣諸島沖での中国漁船衝突事案で、中国が日本人犯人説を声高に言い募ったことや、射撃用レーダー照射を行いながら捜索用レーダー照射であったなどの虚言はすべて中国の名誉のためであったということになる。
日本に対して気に食わないことがあると「愛国無罪」と称して、大使館に乱入し、日本人経営の商店を破壊し、およそ礼節も信義も弁(わきま)えない蛮行を繰り返す中国(人)であるが、「愛国虚言」もそうした延長線上にある。