東京都知事選挙では、脱原発を掲げて突然のように参戦した細川護煕元首相が、国民的な人気を集める小泉純一郎元首相の全面的な応援を得ながら惨敗を喫した。そして、それを待っていたかのように政府は原発の再稼働へと軸足を移した。建設が中断されていた青森県の大間原子力発電所も再着工される見通しとなった。

 東京都知事選に当選した舛添要一氏や安倍晋三政権が掲げる原発の段階的な縮小は非常に聞こえがいい。原発を快く思っていない人も、即時撤廃が非常に難しいことがよく分かっているので舛添氏に投票した人が少なくないのではないかと想像できる。

 しかし、政府は段階的に縮小するための具体的プロセスを何一つ示していないことに注意が必要である。曲げられたばねが元に戻ろうとするように、世の中の仕組みや制度を変えるときにも元に戻ろうとする大きな力が必ず働く。

 非常に強い意志を持って臨まない限り、ばねで言えば非常に大きな力をかけなければ弾性限界を超えて塑性変形させることは難しいように、結局は元の鞘に収まってしまっていたという結果になりやすいのだ。

 何しろ原発を推進しようという人たちには既得権という非常に大きなパワーの源がある。そのことを私たちは常に強く認識しておかなければならない。その力を実感できる1冊の本が出版されている。元NHKキャスターだった堀潤氏が書いた『変身 メルトダウン後の世界』(角川書店、税抜き1400円)である。

 福島第一原子力発電所の事故によって、堀さんは否応なしにNHKを含むマスメディアの問題に正面から向き合わされてしまった。そしてNHK幹部との軋轢から退職を決意するが、慰留されて米国へ1年間留学する。

 米国でも原発問題の精力的な取材を重ね、また福島第一原発の事故についてネットなどを使ってできる限りの映像を集め、1本の映画を作る。『変身 Metamorphosis』である。留学先のUCLAで上映されたこの映画は大きな反響を呼んだ。

 しかし、UCLA学内ではなく一般公開しようとしたとき、日本から妨害が入った。堀さんが一般公開の準備を進めていることを聞きつけ、何としても阻止しようというのだ。結局、一般上映は中止に追い込まれてしまった。

 そして堀さんは日本に帰国後2日目に退職願を提出してNHKを辞めた。日本のマスメディアに強い疑問を持ったと言う。堀さんに原発とメディアの問題を聞いた。

NHKは公共放送として構造的にゆがんでいる

堀潤(ほり・じゅん)立教大学文学部卒業後、2001年にNHK入局。岡山放送局を経て、「ニュースウオッチ9」リポーターに。報道局が特ダネに対して出す賞を4年連続5回受賞。10年、経済ニュース番組「Bizスポ」キャスターを務める。12年、米国留学し、UCLA客員研究員に。日米の原発事故を追ったドキュメンタリー映画「変身 Metamorphosis」を制作。13年4月、NHK退局。NPO法人「8bitnews」代表(撮影:前田せいめい)

川嶋 堀さんはNHKを辞められ、現在はインターネットメディアを立ち上げたり、著作活動やテレビ出演などフリーで活動をされているわけですが、まずはその経緯を教えていただけますか。

 いまのNHKは公共放送として構造的にゆがんだ形になっていると思っています。というのは、ある特定の業界や政治集団に近い存在の人がトップにいる。それはジャーナリズム機関、公共放送として健全ではない。

 ですから僕はNHKにいる時から、仲間たちとともに声を上げてきました。ただ、中にいるとさまざまな争いに巻き込まれるので、いったん外に疎開して、そこで理想の公共放送をつくるために活動していこうと。だから僕はいまでもフリーの公共放送人、NHK人という感覚なんです。