「時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう」

 昭和23年、東京裁判の判決が下った時、11人の判事のうちインド代表のラダ・ビノード・パール判事は英文1275ページに及ぶ反対意見書を提出した。この文章は反対意見書の結言である。

原発事故後、ポピュリズムへ走った日本政府

 3年前、東京電力福島第一原子力発電所の事故直後、放射能の恐怖による「熱狂と偏見」は、「原発ゼロ」の空気を日本中に蔓延させた。メディアも冷静さを失い、「国民は原発との決別を望んでいる」と一方的に書き立てた。

 政府も空気に流され、ポピュリズムに走った。根拠もなく「原発ゼロでも成長は可能」と経済産業大臣が口走った。一方で化石エネルギーの増加がもたらす悪影響を考慮してか、別の大臣は「エネルギー消費の総量を減らしながら経済成長が可能」と無責任に語っている。

 根拠のない「脱原発」は感情であり、空気である。だからこれに抗うのは難しい。野田佳彦首相(当時)が「将来を過度に縛ることなく、確かな方向性と状況に対応できる柔軟性を併せ持つ・・・」と現実的な発言をした途端、メディアは「原発ゼロ方針の後退だ」と一斉に非難した。

 1月14日、細川護熙氏が都知事選に立候補を表明した。都内で小泉純一郎氏と会談し、都知事選挙に「脱原発」を重要争点に据えて立候補することを伝えて協力を要請し、小泉氏はこれに全面協力を表明したという。

 2人の元首相が「脱原発」を旗印に都知事選を戦う姿に、短絡的で場違いなものを感じるのは筆者だけではないだろう。

 都内に原発があるわけではない。しかもエネルギー政策は国が重点的に担うべき事項である。東京都が東電の大株主だからといっても、東電は東京都だけでなく、その他8県にも電力を送っている。

 オリンピック準備や社会福祉、雇用対策、少子高齢化や首都直下型大震災対策など、喫緊の政治課題は目白押しである。都内に存在しない原発問題をわざわざ重要課題に据えて都知事選挙を戦うのは、「土俵でレスリングを戦うようなもの」と言った人がいる。言い得て妙だ。

 原発事故が起きて間もなく3年が経とうとしている。「熱狂と偏見をやわらげ」「理性が、虚偽からその仮面を剥ぎ」とりつつある昨今、ようやく冷静なエネルギー政策の議論が可能になってきた矢先、風にあおられた残り火が再び発火するかのようだ。