10月29日、建国90周年を迎えたトルコ共和国最大の都市イスタンブールで、国をヨーロッパ・アジアに分断するボスポラス海峡を貫く初の海底トンネルの開通式が行われた。海峡には既に2つの吊橋があるが、経済発展の続くトルコでは渋滞が大きな問題となっていた。
難しいトンネル建設を担う日本企業
世界有数の海流速があり、北アナトリア断層にも近いことから耐震性も重要なポイント。
高度な技術が要求されるなか、海底下60メートルの沈埋トンネル部分をトルコの2社と請け負ったのが大成建設を中心とするJV(共同企業体)。
事業費の多くが円借款でまかなわれ、日本の技術と資金で実現した大事業である。
最初の大陸間トンネル構想はトルコ皇帝アブデュルメジド1世の時代、クリミア戦争後の150年程前までさかのぼる。その後は計画は出ては消えての繰り返し。
しかし、2004年、ジェップ・タイイップ・エルドアン首相のイスタンブール市長時代に復活し、いま、計画は次のステージへと上がり、既存駅の改築など鉄道網の再整備へと進んでいる。
ボスポラス海峡は、ロシアにとっては地中海への出口となる。そんなロシアの南下政策とトルコが衝突したクリミア戦争中、トルコと共に戦った英国軍が基地とし、あのナイチンゲールも活躍した陸軍野戦病院があったのが海峡に面するユスキュダル地区。
「ウスクダラ」の題名で、江利チエミが紅白歌合戦で歌った曲でも知られるところである。
トンネルのアジア側出口はそのユスキュダル地区。しかし、ハイダルパシャというアジア方面へと向かう列車のターミナルステーションはトンネルからの路線を外れた。
19世紀末、遅れてやって来た帝国主義国ドイツが掲げるベルリン、ビザンティウム、バグダッドを結ぶ「3B政策」の一端を担うバグダッド鉄道は、スエズ運河を迂回する鉄道路線という意味でも重要だった。