前回のコラムで告知したとおり、10月19日土曜日に講演会で小樽に行ってきた。男女共同参画の集まりで、ちょうど100名の参加者があった。自分で言うのも何だが大変な盛会で、この場を借りて主催をされた方々と、講演を聴きに来てくださったみなさんにお礼を申し上げたい。
午後1時半から始まった講演会は3時半過ぎに終了した。その後は役員の方たちと喫茶店で歓談をして、午後5時頃に私は1人になった。駅前から続く長い下り坂を小樽運河に向かって歩いていくと、真正面の海から満月がのぼってきた。オレンジ色をした大きな月で、私は波止場に立ち、夜の闇が濃くなってゆくにつれて少しずつ色を変えながら上空にのぼってゆく月の姿に見とれていた。そのあとはおいしいお寿司を食べて、午後9時ちょうど発の最終便の飛行機で帰京すべく、列車で新千歳空港に向かった。
小樽を訪れたのは、北大を卒業した1989年3月以来24年ぶりだった。せめて1晩は泊まりたかったが、埼玉県志木市のわが家には高校3年生と小学4年生の息子たち、それに小学校教員の妻が待っている。教員は土日もほとんど机に張りついて、書類の作成や授業の準備に追われるため、私が2日とも不在だと、妻の仕事に支障を来す。息子たちも、できれば土曜日のうちに帰ってきてほしいと言う。そのため、午前4時57分発の始発電車で東武東上線志木駅を発ち、日付が変わってまもない0時15分頃に志木駅に帰着するという、文字通りの強行軍となったわけだ。それでも、久しぶりの小樽行きは楽しかった。ご縁があったら、また是非うかがわせていただきたいと思っている。
往きは眠気、帰りは講演をした疲れで、移動の間は眠ってばかりいた。それでも、私は埼玉と北海道を往復しながら、このところ問題が次々と明らかになっているJR北海道のことを考えていた。
私が北海道で暮らしていたのは北大に在学していた1983年4月から89年3月までの6年間だけである。卒業後の2~3年はちょくちょく札幌まで出かけていたが、仕事が忙しくなったり子どもが生まれたりで、15年ほど北海道とはご無沙汰だった。それが、5年前の夏に家族4人で富良野・旭川・札幌に旅行したあと、札幌を舞台にした小説『おれのおばさん』(集英社文庫)を書いたことで北海道との関係が復活した。去年と今年は、道内各地での講演会のために2回ずつ北海道を訪れている。そうした距離感で北海道と付き合ってきた者として、JR北海道の問題をどう考えているのかを書いてみたい。
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5年前、実に15年ぶりに北海道を訪れた際の第一印象は、「札幌駅前と新千歳空港の中ばかりが賑やかになったナ」だった。札幌在住の友人たちは、「すっかり変わっちまったよ」と嘆いていたが、確かに札幌はかつての札幌とは違う街になってしまったように、私にも見えた。