今年の長泥・白鳥神社の例祭は4月14日。福島駅から鴫原良友さんの車に乗せてもらって一緒に長泥に入ることになった。
当日朝、改札を出ると目の前のみやげもの店に鴫原さんがいた。忙しくて前もって準備できなかった神前に供えるだんごを買っていたのだと言う。
鴫原さんは行きの車を運転しながらも、十分な準備ができなかったことをしきりに悔やんでいた。祭りには決まって参道入り口に立てる幟の手はずを整えられず「はたぐらい立てたかったがなあ」と何度も口にした。
飯舘村に入り臼石の交差点を右に曲がる。飯樋の中心部でクランク状に右左と曲がり前田・八和木を抜けて山道に入る。狭い急カーブをいくつも曲がって上りきったところに管理ゲートがある。
このときはまだゲート前に警備員はいない。車を降りた鴫原さんが自分で鍵を開け、車を通して再び鍵を閉める。ここから下る九十九折の坂は長泥自慢の桜が続くが、開花は例年ゴールデンウイーク直前あたりでこの日はまだ咲いていない。
坂を下りきってニュース映像でもたびたび目にする長泥の十字路を右に曲がり、しばらく進むと右手に白鳥神社の一の鳥居が見える。
鳥居の前に数台の車が止まっており、すでに10人前後の人がそこにいた。見たところ30代から70代と各世代がそろっている。その足元には棹と幟が置かれ、鴫原さんの到着を待つばかりになっていた。
総がかりで幟をつくる。幟を広げ乳(ち=布帛側面の輪)に棹を通す。棹の頂に杉の枝をあしらう。整った幟を数人がかりで時折の風にあおられながら参道入り口の両脇に立てていく。
二の鳥居から神社に続く石段に厚く積もった木々の葉が掃かれていく。境内に入る人はみな社に深々と一礼してから境内や社内の掃除にとりかかる。祭礼の道具が用意される。だれかの指示の声が飛ぶこともなく淡々と祭りの準備は進められていく。
すべてはいつもの手順どおり。例のことを例のごとく受け継ぎ次の世代にそのまま手渡すことで地域の歴史の糸は連綿と紡がれてきた。伝統の継承は日々の暮らしの中で当たり前のこととして行われてきた、これまでは。
石段を上りきった両脇に大きな石の台がある。ここには一対の石灯籠が置かれてあったが地震で石段の下まで転がり落ちた。壊れた灯籠は何人もの手で運び上げられ、いまは境内の隅に置かれている。修復することが3月の住民総会で決まった。
準備が整った頃、きれいになった石段を宮司さんが上ってきた。全員で迎え、祭りが始まった。
蝋燭の灯る神前で宮司さんが奏上する祝詞を全員頭を垂れて聞く。地区の代表が神前に進み玉串を捧げる。全員の頭上で祓串が振られる。
滞りなく式次第を終えるとテーブルが並べられ、宮司さんを交えて参詣者におさがりが振る舞われた。このときの参加者は20名ばかりだったが、鴫原さんは「避難生活でばらばらになってたいへんなときに、よくこれだけ集まってくれた」と喜び感謝していた。
氏子に下される神札はこの日参加していない家にも送られた。各家では札を神棚に祀り息災を願う。護符であり同時に伝統を共有する地域と住民の結びつきのしるしでもある。
(撮影:筆者)