「笈田ヨシ(おいだ・よし)」という名を聞いたことがあるだろうか。舞台が好きな人なら、笈田をもちろん知っているはず。8月、日本で4度目の公演があった『春琴 Shun-kin』(深津絵里主演)の年老いた佐助役の俳優だ(オフィシャルサイトはこちら)。

 笈田の名にピンとこない人も、映画『最後の忠臣蔵(音が出ます)』の可音(桜庭ななみ)の嫁ぎ先のあるじ、茶屋四郎次郎を演じた初老の男性と言えば「ああ、あの人!」と思うかもしれない。(文中敬称略)

日本を離れ45年、演出の巨匠ピーター・ブルックも厚い信頼を置く

笈田ヨシ(おいだ・よし)
1933年生まれ。著書『俳優漂流』は価値ある1冊。1968年のピーター・ブルックとの出会い、1970年秋~1973年秋に笈田も参加した演劇団体「国際演劇研究センター(CIRT)」の世界公演旅行、その間に数度日本に一時帰国した時の様子をこまやかに描いている。本書は17カ国語に翻訳されている(撮影:Mamoru Sakamoto)

 笈田はパリに住み、日本で、アメリカで、ヨーロッパで、俳優として、また演出家として、まさに世界を舞台にして活動している。笈田の名は海外で知れ渡っている。数々の演劇やオペラを演出したり、独り芝居『禅問答』(Interrogations)を35年近く続けて世界中で披露したり。

 若い俳優たちは笈田の著書『俳優漂流』(五柳書院、1989年初版発行、17カ国語に翻訳)をはじめとした文字化された作品を愛読し、笈田が開く演劇ワークショップに喜々として参加する。

 日本を離れ、演劇界の巨匠ピーター・ブルック(イギリスの演出家、現在88歳)と出会ったのが45年前。師と仰いだブルックは「ヨシは仲間であり、友人であり、師である」とたたえる。

 日本では大きく報道されていないが、笈田は2013年春、フランス芸術文化勲章(L'Ordre des Arts et des Lettres)の最高位コマンドゥールをフランス政府から授かった。映画監督の北野武や歌舞伎俳優の坂東玉三郎らが受賞している、あの栄誉ある賞だ。シュヴァリエ、そしてオフィシエに続いて3度目。功績がまた認められたのだ。 

 日本にいたころ、舞台演出家になって一座を持ちたいと夢に見た。でも、とてもそんな才能はないと一時絶望までして、しおれかかった。そんな痩せ細った若い木は、深い年輪を刻んだ大樹となってたくさんの花を咲かせ、実を熟してきた。

 ブルックが信頼を寄せるほどの、その「笈田ヨシ」という大樹には、どんな思考のエッセンスが流れているのだろう。演技を見れば、人々は際立つ存在感にくぎづけになり、演出する舞台を見れば、いつも大絶賛を浴びせる。日本出身のこの男性は、一体どんな人なのか。

 舞台について、生きることについて、海外に住むことについて、人間とテクノロジーとの関係について・・・と、自身の根幹を支える物事の見方を、名演出家・名優は分かりやすく語ってくれた。