1 はじめに

 2011年1月「アラブ世界が燃えている」とアルジャジーラのテレビ放送が衝撃的にチュニジアにおける国民蜂起を伝え、その影響がリビア、シリア、イエメン、エジプトへ及んだ。

 エジプトではこれまで医療や福祉事業分野における貢献により貧困層の支持母体となったムスリム同胞団に共鳴したデモ隊が、ムバラク元大統領の忠実な僕である治安機関や警察部隊をカイロの中心地タハリール広場をはじめ各地方都市で圧倒した。

エジプト暫定政権(シーシー国防相)

 同政権を打倒し2012年の民主選挙ではイスラム原理主義を掲げるムスリム同胞団が政権に就いたが、その1年後、今度はムスリム同胞団出身のモルシ前大統領がムバラク元大統領と同じようにデモ隊と軍部の力によって政権の座を追われた。

 インフレと若者の高失業率で国民の不満が一気に爆発したのを受け、エジプト軍トップのシーシー国防相が混乱回避を理由に即時憲法停止を宣言し、前大統領の身柄を拘束して暫定政権を樹立したのである。

 まさに軍が行った無血クーデターであったと言えよう。

 ではなぜ、リビアや今なお内戦が続くシリアのような無辜の国民を流血の国内戦へ巻き込まなかった理由にはどのようなことがあろうか、また、モルシ支持派のムスリム同胞団の反発は依然と強く、エジプト国内各派の対立が続いているが、暫定政権は民主化に向けて歩み出すことが可能であろうか。

モルシ前大統領(NHKアーカイブスから)

 そのカギは軍部とイスラム勢力そして西欧民主主義を志向する勢力(リベラルな世俗派)の動向いかんにかかっている。ただし、我が国ではエジプト国防軍についての報道は少なく、その補足を行いたい。

 エジプトの一般国民から見た軍はある種「国民教育の場」としてその役割を負い、また、1979年の第4次中東戦争では常勝であったイスラエル軍を奇襲して、自国領のシナイ半島を奪還し大勲功を得た。

 アラブ諸国中、対イスラエル戦争では唯一の戦勝国として国民へアラブの盟主、大国として高いプライドを与えている。

 今回の政変のように中東は島国の日本では到底理解できない複雑多様な地域である。まさに戦争と平和、豊かさと貧しさ、誇りと屈辱、現代と古代、テロとゲリラ、人間と神、宗教と科学が共存し、混在し、融合し、対立する複雑多様な地域である。

対立の構図(NHKアーカイブスから)

 石油とその地政学的重要性ゆえ、かっては旧東西勢力のパワーバランスを左右し、現在でも日本および欧米諸国にとって経済的安全保障のバイタルエリアである。

 私は在エジプト日本国大使館防衛駐在官として1992~1995年の3年間をカイロで勤務した経験をもとに意見を述べたい。エジプト軍の編制、装備、訓練練度、戦術教義・戦法などに関する情報収集は平素の軍関係情報の収集により見積分析を行い基礎資料の蓄積によりなされている。

 まずは防衛駐在官とは、在外公館に駐在し、軍事に関する情報収集を担当する自衛官を指す。通常は軍人としての身分(制服着用、階級呼称)と外交官としての身分(外交官特権保有)の両方を持つ。

 日本では敗戦により駐在武官制度は廃止されたものの、自衛隊発足(昭和29年)に伴い、旧帝国陸海軍の駐在武官制度と同じ趣旨で防衛駐在官制度が開始された。

 大使と同様に事前の受入国承認(アグレマン)を得なければならないことからも国際的には一般の外交官より重い地位として認められている。階級は将補(在米国大使館のディフェンスアタッシェのみ)、通常1佐(在スーダン大使館は2佐)である。