この原稿は8月15日午後の北京で書いている。2週間前は8月15日までの日中関係を予測しつつ、安倍晋三内閣の靖国神社参拝について「一抹の不安はあるが、基本的には心配していない」と書いた。それでも、やはり気にはなる。今回は半年ぶりの北京から筆者の独断と偏見に基づく分析を試みる。(文中敬称略)

エジプトと中国の違い

1980年代の風情が残る朝陽区の団地内

 日中関係に関する限り、今週の北京は拍子抜けするほど静かだった。

 東京からの各種報道もあり、北京の日中関係者は誰もが靖国問題について「注意深くも楽観的(cautiously optimistic)」だったようだ。

 たまたまCNNを見たら、エジプトでは軍・治安部隊がムスリム同胞団の強制排除を始めていた。

 カイロと北京は筆者にとって思い入れの深い町だ。そのカイロでの非常事態宣言をこの静かな北京から眺めるのは実に感慨深い。同様の経験は2001年9月11日にもあった。ニューヨークとワシントンでの同時多発テロを報じたCNN実況中継を静かな北京の自宅で見た時と同じあの感覚だ。

 それにしても皮肉な話ではないか。あれほど「アラブの春」の波及を恐れながら、中国は武力も使わずに封じ込めた。これに対し、本家本元のエジプトは、「アラブの春」という絶好の機会を逸したばかりか、自国の統治システム自体を崩壊させつつある。この違いは一体何なのだろう。

 エジプトの友人には失礼ながら、誤解を恐れず申し上げれば、答えは政治的洗練度の違いだと思う。民主化を求めつつも国が崩壊していくエジプトと、民主化を拒否しつつ飽くまで統一を優先する中国。どちらが正しいかと問われれば、筆者は疑いなく前者と答えるだろう。

 しかし、最大多数である一般民衆の最大幸福という観点で見れば、中国のやり方を一概に否定することもできない。特に、現在エジプトで起きている現象が万一中国で起きたとしたら(実際には24年前にも一度起きかけたことだが)、その混乱の規模はエジプトの比ではないだろう。