本稿が掲載される7月5日は中国のウイグル族にとって特別の日。4年前のこの日、新疆ウイグル自治区のウルムチ市で大規模な騒乱事件が発生し、多くの犠牲者が出たからだ。つい最近も自治区内ではウイグル族による中国治安組織への襲撃事件が頻発しているが、なぜか世の中の関心は低いようだ。
今、世の関心はエジプトにある。イスラム主義者の大統領と反政府勢力との間に妥協の余地が見られないなか、遂に7月4日、軍部は事実上のクーデターに踏み切った。CNNの実況中継を見ながら筆者は、この非妥協主義による政治的混乱はいずれウイグル地域にも飛び火するかもしれないと直感した。
というわけで、今週は久しぶりでウイグル族と漢族の確執を取り上げる。(文中敬称略)
着々と「漢化」が進むウイグル自治区
まずは事実関係の整理から始めよう。例によって、カッコ内は筆者の独断と偏見によるツッコミである。
●2003年 ウイグル語の使用が認められてきた自治区内高等教育機関で漢語の使用を義務付け
●2005年3月 「外国での病気療養」を理由にラビア・カーディルを釈放、ラビアは米国に亡命
【ウイグル族と漢族の摩擦は昔からあったようだが、筆者が北京に駐在していた2000~2004年あたりから両者の衝突・摩擦は一層顕在化したようだ。2001年以降中国は「テロとの戦い」を逆手に取り、米国にウイグル族テロ分子の徹底弾圧を事実上認めさせた。果たしてこの強硬策は正しかったのだろうか】
●2008年3月 自治区南部ホータンで、600人を超える対当局抗議デモが発生
●2009年6月 広東省の玩具工場で漢族とウイグル人従業員が衝突、死者2人、負傷者120人
●2009年7月5日 同事件に抗議する約3000人のウイグル人と武装警察がウルムチ市内で衝突
【7月5日に始まったウルムチ騒乱の規模につき、中国当局は死者192人、負傷者1721人と発表している。一方、世界ウイグル会議などは、中国当局や漢族の攻撃により殺されたウイグル人が最大で3000人、事件以降ウイグル人1万人が行方不明だと主張する。筆者には正確な数字を客観的に検証する術がないが、どちらにしても大規模な悲劇であることに変わりはない】
(同事件については中国株式会社の研究~その16を参照)