今回も先週に引き続き、インドシナ出張についてご報告したい。前回お話ししたプノンペンからラオスの首都ビエンチャンまでは飛行機でわずか1時間。東京の羽田から大阪の伊丹まで飛ぶ気楽さだ。上空から見るビエンチャンは実にのんびりとしている。プノンペンが大都会だったと錯覚するほどだ。

 恥ずかしながら、ビエンチャンに来るのも今回が初めて。いつもの通り、当地でも車とガイドを雇い市内の博物館や華僑・華人地区を歩き回った。今回は不幸にもベトナム、中国、ミャンマー、タイ、カンボジアに取り囲まれたこの東南アジアの小国から中国の台頭を考えてみる。(文中敬称略)

華僑・華人社会の学問的研究

ビエンチャン市内の中国系施設

 ビエンチャンの人口は約80万人。ラオス全人口が約630万人だから、ラオス人の8人に1人は首都に住んでいる勘定だ。

 例によって、市内で丸2日間華僑・華人の痕跡を探ってみたが、どうもここは様子が変だ。この街はプノンペンに似ているようで、どこか雰囲気が違う。一体なぜなのだろう。

 ラオスの華僑・華人に関心があると言ったら、現地に住む日本の友人がいくつか参考資料を見せてくれた。東南アジアの華僑・華人社会については、日本にも優れた先行研究がある。中でも、今回は筑波大学大学院・山下清海先生のペーパーが非常に参考になった。

 このほかにも、インドシナ3カ国の華人・華僑社会については、大阪大学の五島文雄先生のペーパーなど多くの興味深い研究がある。これに比べれば、筆者など単なる「好奇心の塊」に過ぎない、と大いに反省した。研究者の熱意と努力には頭が下がるばかりだ。

変容する華僑・華人社会

 前述の山下ペーパーを片手に、現地人ガイドを伴っていくつか「チャイナタウン」を見て回った。同ペーパーを読むと、2001年3月にビエンチャン中心部の最も古い「チャイナタウン」には中華料理店が10軒、ドライクリーニング店が6軒、金を売買する金行が3軒あったらしい。

 ご丁寧にも、同ペーパーにはこれら店舗の位置を詳細に記した地図まである。「好奇心の塊」である筆者は、早速地図にある20軒ほどの華僑・華人経営の店舗を見に行くことにした。どの店舗が残っているかを実際にこの目で確かめたかったからだ。

 ところが現地に行って驚いた。地図にあった店舗は現在ほとんど残っていない。金行は2軒あったが、場所も名前も変わっていた。オーナーの中国系ラオス人も中国語があまり喋れない。クリーニング店は全滅、料理店も半減、名前は変わっていた。逆に、地図にはない華僑系らしきホテルが新たに1軒建っていた。

 山下先生がこの地図を作ったのは12年前。この間一体何が起きたのだろう。その界隈でようやく1軒、明らかに「新移民」経営と思われる書店を見つけた。オーナーは四川省出身、成都訛り丸出しだが立派な中国語で「自分たちのような新参者は今のビエンチャンに10万人はいる」と豪語していた。