今回は出張でカンボジアに来ている。メコン川近くのホテルの窓から美しい朝焼けが見える。恥ずかしながら、プノンペンに来るのは初めて。いつものように車とガイドを雇い、市内の博物館や中国系住民地区を散策しながら、その国と中国との関係に思いを馳せた。
ロン・ノル、クメール・ルージュ、ポル・ポト、ヘン・サムリン、ソン・サンなどと聞いて「懐かしい」と思う読者は筆者の同年代か先輩だろう。
東京でベトナム反戦運動華やかなりし1970年代、カンボジアは未曾有の大混乱に陥った。今回は東南アジアのこの小さな王国と中国との関係を現地で考える。(文中敬称略)
大規模中華街のないプノンペン
プノンペンの人口は約150万人、カンボジア全人口の1割が集中する大都市だ。
その市内を2日間車で走り回ったが、この街には横浜やサンフランシスコのような「中華街」が見当たらない。人口150万人のうち約3分の1が「中国系カンボジア人」であるにもかかわらず、である。
一体なぜなのだろう。
東南アジアでは中国系住民が経済を牛耳っているという。この点はカンボジアも例外ではないらしい。市内中心部のセントラルマーケット正面には金など貴金属を扱うショップが5軒ほど並んでいた。オーナーはすべて中国系カンボジア人だという。
どうしよう、今回は金を買うだけのドルを持っていないぞ。
勇気を出してガイドさんと一緒に中に入った。祖母から孫娘まで5人の女性が怪訝そうに出迎えてくれた。彼らは中国系なのに中国語があまり喋れない。まず祖母が喋り始めたが、標準中国語ではなかった。娘は喋ったが、上手ではなかった。北京語を喋ったのは孫娘だけ。聞けば学校でちゃんと勉強したという。
彼女たちの話を聞いてふと思った。東アジアには「中華街」のない国が少なくない。中国人を警戒し、事実上「中華街」を作らせない国もある。しかし、ここプノンペンには韓国、ベトナム、インドネシアで感じたような中国に対する恐怖心がどうも感じられないのだ。この理由については最後にご説明したい。