「グローバル人材とは」という問いすら愚問になりつつあるほどグローバル人材という言葉が跋扈している昨今ですが、この人材にとって最も大事な素養は日本人としてのアイデンティティーです。
この連載の第1回目でもご紹介しましたが、2011年に文部科学省が策定したグローバル人材の定義には、「世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティーを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニ ケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間」とあります。
グローバル人材である前に「日本人」であれ
もちろん最低限の語学力やコミュニケーション力は必要ですが、これらは現在の教育機関ではそれなりに身につけることができます。パソコンでいうところのアプリケーションに相当するわけですが、そのOSとも言うべきアイデンティティーを育む教育はどれだけなされているでしょうか。
そもそもアイデンティティーとは何でしょうか。カタカナ用語は思考停止を招きます。分かったつもりになってしまい深く理解していないことは多々あります。
日本人としてのアイデンティティーとは、日本人の価値観や美意識、世界観、思考習慣なのではないでしょうか。そしてそれらを理解し自身の血肉とするには、日本の歴史や文化、芸道などを知らねばなりません。
もちろん、中には日本の文化に馴染めないという日本人もいることでしょう。また、それほど日本人を意識しなくてもグローバルで仕事をすることはできるでしょう。
しかし、今後、経済の面では一層グローバル競争が激しくなり、企業にとっては差別化が難しくなる中で、他国には真似できない日本ならではの製品やサービスをいかに提供できるかがカギとなってきます。
また、外交や国際ビジネス交渉の場面でも、人間としてのぶれない軸というものが交渉力を高める気品や気迫を生むわけで、それは日本人としての矜持から自然と醸し出されるものであると思います。
教育の面でも、本来は若者に希望や勇気、自信、徳などを育むべきところが、多くの学校ではそれとは逆の取り組みをしているように映ってなりません。減点主義ですし、かつて日本がいかに他国に悪いことをしたかというような自虐的な教育も多々見受けられます。
せっかく日本に生まれ育ったわけですから、プライドを持って、日本人ならではの思考や美意識、振る舞いを発揮して他国から一目置かれる人物が本来あるべきグローバル人材ではないでしょうか。