「My name is Bond…James Bond…」

 誰もが知るあのテーマ曲をバックに、世界一有名なスパイが銀幕に登場して50年。全編に散りばめられた過去の作品群へのオマージュも楽しい最新作『007 スカイフォール』(2012)が現在劇場公開中だ。

007を生んだ作者イアン・フレミングの特異な人生

フレミングが惚れ込んだジャマイカ。キングストン

 胸すく派手なアクション、妖艶なるボンドガール、奇抜なガジェットの数々・・・。

 ボンド映画の楽しみ方は人それぞれだが、荒唐無稽な娯楽映画でありながら、製作された時代の空気を感じ取れる社会性も見逃せないポイント。このコラムでもこれまでたびたび紹介してきた。

 そんな作品が生み出される背景には、生みの親、イアン・フレミングが歩んできた特異な人生がある。

 弁護士そして国会議員でもあったスコットランド系の父のもとに生まれたフレミングは、名門パブリックスクール、イートン校へと進んでいった。

 ところが、面倒を起こした挙句に退学。さらに続いて進んだ士官学校までも退学し、エリートコースから外れていってしまう。

 そして、紆余曲折の末、入社したロイター通信での4年間、ロンドン、ベルリン、モスクワなどに駐在、第2次世界大戦が勃発してからは、海軍情報部の補佐官として諜報活動に従事することになる。

 こうした経験と、スポーツ万能でユーモアのセンスあふれるプレイボーイという実像が、ボンドという虚像を作り出す原動力となった。

 当時まだ英国領だったジャマイカにほれ込み、冬の3カ月間を過ごすようになったフレミングは、その地の隠れ家「ゴールデンアイ」で、ボンドもの第1作「カジノ・ロワイヤル」を書き上げる。