自動車産業についてのニュースや分析は、とかく乗用車に偏るけれども、現実の自動車社会とそこに供給され、使われる自動車の現況を読み解くためには、商用車の動向にも常に目を配っている必要がある。

 もちろん数量や金銭ベースでは乗用車の市場規模の方が圧倒的に大きい。しかし社会との関わりは商用車の方が格段に深い。特にそれぞれの国・地域における人と物の道路輸送が今どうなっているか、ここからどうなろうとしているかは、それぞれの社会と生活のあり方、それを導く政治、そこから生まれる経済に直結している。

自力での経営が困難な日本の中大型商用車メーカー

 残念ながらこの分野でも、今、日本の自動車産業は沈滞の度を深めている。ご承知のように、現状で4社ある中大型商用車のメーカーは自力での経営そのものが難しく、それぞれに生き残り策の模索が続いている。

 いすゞは、GM(ゼネラル・モータース)との提携を二十余年にわたって続けた後、GMの経営危機を受けてGMが保有していた株式の一部をトヨタ自動車が引き受ける形で提携相手を替えたが、そのトヨタ傘下の日野自動車との協業もバス車体程度にとどまり、技術面も含めて自立の道を探り続けざるを得ない状況にある。その初期、昭和の初めには国主導で開発された標準型トラックの製造で地歩を固めたことを考えると、隔世の感は深い。

 日野自動車は1966年以来トヨタの傘下にあり、そのトラック・バス部門という位置付けになっている。収支に占めるトヨタからの乗用車委託生産の比率は大きく、商用車事業によるものは半分に過ぎない。この委託生産は、トヨタ側の事情による変動が大きく表れる。2011年1月の記者会見・アナリスト向け説明会で、長く東京都日野市にあった主力工場を茨城県古河市に建設する新工場に全面移転することを発表(本社機能は日野市に残す)。寸法も重量も大きな製品で、しかも多品種少量生産という商用車特有の事情に対応する生産システムを構築する、という意図は理解できるが、創業の地にものづくりの核を残すことは精神的な「根」として意外に重要だ。

 残る2社、三菱ふそうトラック・バスとUDトラックスは、それぞれ「外資系」企業になっている。

 三菱ふそう(扶桑)は、いすゞと並ぶ歴史を持つ商用車メーカーであり、言うまでもなくかつては三菱重工の一部門であった。それが三菱自動車として独立し、紆余曲折を経てダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)と資本提携、事実上その世界戦略に組み込まれたところでトラック・バス部門を分社化。しかしダイムラーの世界戦略は齟齬、挫折して、そこからの再構築にあたって乗用車部門(三菱自動車)は手離したが、アジア市場に強いトラック・バス部門は傘下に留め、今日に至る。つまり現三菱ふそうトラック・バスは、その資本金の89.3%を保有するダイムラーの子会社なのである。

 UDトラックスの「UD」の起源は、もはや知る人も少なくなったのではないかと思うが、 「ユニフロー(・スカベンジング)・ディーゼルエンジン」、すなわち2サイクル作動のディーゼルエンジンにおいて、シリンダー内の燃焼後ガスを排出しつつ新しい空気を吸入する「掃気」の流れが一方向になる機構を意味する。UDトラックスの前身であった民生デイゼル工業がこの形式のエンジンをGMから技術導入したことから、同社のブランド名に使われてきたものだ。