「お待たせしました」と言って出されたうどんを一口食べて、加藤智春さんはうなってしまった。まさか気仙沼でこんなうどんを食べられるとは思ってもみなかったのだ。

 加藤さんは東京・石神井町にあるうどん店「エン座」の店主だ。エン座は全国のうどんマニアにその名を知られる人気店で、週末ともなると、加藤さんが打ったうどんを食べたいという人が地方から飛行機に乗ってやって来る。様々なうどんイベントを打ち出す加藤さんは、首都圏のうどん業界を盛り上げるリーダー的存在としても知られている。

 東日本大震災から約1年が経った2012年3月、加藤さんは奥さんと小学生の息子を連れて宮城県気仙沼市を訪れた。将来はレスキュー隊員になることを夢見る息子が、被災地を見てみたいというのだ。被災地を訪れることが何らかの復興支援になるのではないかという加藤さん自身の思いもあった。

 加藤さん一家は現地の観光ボランティアに案内してもらい、気仙沼の被災地を見て回った。実際に訪れてみて津波の被害の甚大さを実感すると同時に、復興までの道のりはまだまだ遠く険しいことが分かった。

約20の飲食店、物販店が仮設プレハブで営業する気仙沼横丁

 気仙沼港のすぐ近くにある「気仙沼横丁」で昼食を食べることになった。気仙沼横丁は2011年11月にオープンした屋台村である。約20の飲食店や物販店が仮設プレハブに入居し、営業している。

 その中に「本手打ちうどん」の店があった。うどん店の主人であり、また「大のうどん好き」を自認する加藤さんにとって、通り過ぎるわけにはいかない。だが、訪れた時間が早かったためまだ営業しておらず、うどんを食べることができなかった。

 結局そのまま東京に戻ってきたのだが、どうしても気になる。気仙沼の本手打ちうどんを食べてみたい、いや食べなければならないという使命感にも似た思いで、約1週間後、加藤さんは車を飛ばして今度は1人で気仙沼を訪れた。

 気仙沼横丁のうどん店「みずき」の暖簾をくぐると、店主の石渡康宏さんがうどんを打っていた。がっしりとした体格の、寡黙な雰囲気の青年だった。

 加藤さんは出されたうどんを食べて驚いた。おいしい。これはどこに出しても恥ずかしくない立派な讃岐うどんだ、こんなうどんがどこに隠れていたんだ。うどん業界に広範なネットワークを持つ加藤さんだが、「みずき」の名前は聞いたことがなかった。

橋の下の白い波

 東日本大震災は人々の命を奪い、家を奪い、仕事や財産を奪った。被災した人は誰もが生活の再建を余儀なくされ、それまでとはまったく違う人生を歩み出さざるを得なくなった。