本記事は同日公開の『How Japan became a global powerhouse』を日本語化・再編集したものです。
香川真司が生まれた1989年の春、日本のサッカー界は今からは想像できないほど低迷していた。
日本サッカーリーグは終焉を迎えつつあり、ヨーロッパでプロとして活躍する日本人選手はほんのわずかで、日本代表チームは海外どころかアジア地区でもまったく評価されていなかった。
現在、香川真司は世界トップクラスのクラブチーム、マンチェスター・ユナイテッドでプレイする、正真正銘の主力選手だ。そして、明日で設立21年になるJリーグは世界的に見ても強力なリーグとなった。
日本の選手たちが次のFIFAワールドカップで飛躍的なパフォーマンスを見せる準備は万端だ。
欧米のメディアは日本の実力を正しく理解していない
日本人サッカー選手は現在、世界中で100人近くが活躍している。イタリアの名門インテルのディフェンダー長友祐都、ロシア・プレミアリーグの本田圭佑、オランダでの活躍が認められて英プレミアリーグに移籍した吉田麻也など、その多くはトップレベルの選手だ。
これら海外組の中には、ロンドンオリンピックの初戦で圧勝が予想されていたスペインチームを下すことに貢献した選手たちもいる。
この試合の結果を、CNNは「オリンピックの歴史上最大の番狂わせの1つ」、BBCは「非常に大きなショック」と報じた。
私はこの表現に同意できない。
日本代表チームはすでに主要な国際プレーヤーであり、歴史的な強豪であるフランス、イギリス、ドイツ、アルゼンチン、ブラジルなどのチームと肩を並べる水準まできていると信じているからだ。
実際、ロンドンオリンピックのスペイン戦では、単に勝ったというだけではなく、すべての面でスペインチームを上回っていた。この世代のプレイヤーたちが、これまで日本が生み出したサッカー選手の最高峰になる可能性を感じさせた瞬間でもあった。
最近の日本代表チームの健闘は素晴らしく、2年後に行われるワールドカップでは決勝戦に進む可能性があるとすら考えている。日本人サポーターでもそこまでは思わないかもしれないが・・・。
なぜ20年で日本チームはここまでのレベルに達することができたのか。日本のサッカー界に起きた、目を見張るような変革の中心を成すのはJリーグの創設と発展だ。
Jリーグに賭けた川淵三郎の夢
日本におけるサッカーの歴史は長く、史上初の試合は1873年に行われたとされている。しかし約150年の間、メディアの注目や人気の点では野球の後塵を拝していた。
試合の多くは大学や実業団リーグで行われ、練習するのは土のサッカー場であることが当たり前。週末の試合を観戦するのは、チームが属するヤンマーディーゼル、ヤマハ発動機、三菱自動車など大手企業の、もの好きな社員くらいだった。