ドタバタ劇を繰り広げた沖縄米軍基地移転問題は、5月末という期限ぎりぎりになり、ようやく日米共同文書が発表されたが、それまで数々出された代替地案の中には、テニアン島という名も挙がっていた。
日本人が決して忘れてはいけない島、テニアン
この名を聞いてやや齢を重ねた人なら必ず思い出すのが、原爆を積んだB29爆撃機エノラ・ゲイの飛び立った地ということである。
身近な米国として今や日本人お気に入りの地上の楽園であるサイパン同様、北マリアナ諸島を構成する太平洋戦争激戦の小島である。
1945年8月6日、エノラ・ゲイは広島に原子爆弾リトルボーイを投下、その爆発力のみならず、放射性物質に富んだ黒い雨を降らせることによって、広島の地は地上の地獄と化した。
原爆投下には戦争早期終結のためという米国側の大義が繰り返し言われているが、百歩譲って仮にそうだったとしたところで、続いて長崎にまで投下する必要があったのか、という議論が当然ある。
いつの時代にも戦争は勝者の論理で歴史の中に閉じ込められてしまうことを痛感する。
原爆は「マンハッタン計画」の名の下、投下間際にやっと出来上がったものだが、当初の投下想定国ドイツが既に降伏し、日本もその意思を示そうとしているとの情報を得ながらも開発を続けていく様が『シャドー・メーカーズ』(1989)で描かれている。
日本人を原爆のモルモットにどうしてもしたかった米国人
計画には、ロバート・オッペンハイマーからリチャード・ファインマンに至るまで戦後の物理学を担うことになる錚々たるメンバーが名を連ねていたが、その総指揮を執った強硬派の軍人や政治家の思惑が強く反映されて日本への投下に至ったと映画は語っている。
戦争が終結した後も米国の開発意欲はやむことなく、仮想敵を共産主義国に再設定すると、より破壊力の大きい水爆の実験場としてマーシャル諸島のビキニ環礁が選ばれることになる。
センチメンタルな名曲「モア」の調べにのった『世界残酷物語』(1962)のジャーナリスティックな映像は、そんなビキニ環礁の島々から飛び立つ鳥の大群をとらえているが、そこには核汚染されて孵化できない卵が残されているという残酷なものだ。
それは居住の地を奪われたうえに危険を明確に勧告されずに被曝した現地住民の姿とも重なる。巨大水爆、ブラボー実験が行われた際、たまたま通りかかったマグロ漁船『第五福竜丸』(1956)の乗組員たちが死の灰を浴びるという、またもや日本人に降りかかった核の悲劇をも想起させる。