尖閣諸島には、日本が日米地位協定に基づいて施設提供している米海軍用の射爆撃場(航空機による地上攻撃や艦艇の火砲、ミサイルの発射演習で着弾地として使用される演習場)が2カ所ある。久場島の「黄尾嶼射爆撃場」と大正島の「赤尾嶼射爆撃場」である。
それぞれ、この夏に日中双方の活動家が上陸した魚釣島の北東と東のやや離れた海上にある。北東にあるのが久場島で、東にあるのが大正島だ。
この2つの島は、尖閣諸島を含む沖縄の施政権が1972年5月15日に米国から日本に返還される以前から米軍射爆撃場として使用されてきていた。施政権返還と同時に、日米合同委員会合意により日米安全保障条約と日米地位協定に基づく施設提供のスキームに切り替えられ、継続して米軍が使用するものとされてきた。
実は、これらの射爆撃場は、米軍が使用する際に周辺空域や海域の安全のため、15日前までに日本政府に事前通告することになっている。だが、1978年6月以来、それが一切ないままで推移してきた。つまり使っていないのだ。
日米地位協定で、米軍に提供された施設で使用の必要がなくなったものは、返還されることになっている。この点を踏まえて沖縄選出の照屋寛徳衆議院議員は内閣総理大臣宛の質問主意書(2010年10月12日提出)で、30年以上使われていないこれらの射爆撃場がなぜ返還されないのか質した。政府からの答弁は、「米側から返還の意向は示されておらず、政府としては、両射爆撃場は、引き続き米軍による使用に供することが必要な施設及び区域であると認識している」とのものだった。
ちなみに、米軍演習場となった島への地方自治体関係者の立ち入りは米軍の許可を必要とする。米軍管理地だからだ。「演習をしていないが必要な施設及び区域」と米軍、米政府が見なしているということなのである。中国が領有権を主張している尖閣諸島の一部が、米国によって「必要」な管理地区と位置付けられている意味は重い。
紛争は施政権返還前から起きていた
尖閣諸島を巡る紛争は、米軍政下の1950年代から起きていた。例えば、1955年3月には、魚釣島近海で操業していた沖縄の漁船・第三清徳丸が、救助を求めてきた「青天白日旗」(中華民国旗)を掲げたジャンク船2艘に接近したところ、中から乗り移ってきた武装兵に漁民2名が射殺され、海に飛び込み魚釣島に難を逃れようとした残り7名の乗組員のうち4名がおぼれて行方不明となる事件が起きた。