中国の多数の都市で反日デモが荒れ狂っている。日本が尖閣諸島を国有化したことへの中国の国民一般の怒りなのだという。

 しかし共産党の一党独裁で結社の自由や集会の自由が厳しく規制される中国では国民一般からの自由な自然発生のデモというのはありえない。政府当局が黙認、あるいは扇動しない限り、多数の人間が集まること自体が許されないからである。

 だから中国での集会とかデモというのは、当局にとって水道の蛇口の操作に似ている。抗議の動きをどこまで許すかは、水道の蛇口から出す水の量を調節するのと同じなのだ。

中国における反米デモと反日デモの違い

 私自身が目撃した実例は1999年6月の北京での反米デモだった。このデモは米軍機を主力とする北大西洋条約機構(NATO)軍機が当時のユーゴスラビアの首都ベオグラードの中国大使館を爆撃し、内部にいた中国人3人が死亡、20人ほどが重軽傷を負った事件への中国側の抗議だった。米国側は当初から一貫して誤爆だと弁解していた。

 事件から数日もすると、北京の米国大使館前には連日、抗議のデモ隊が押しかけるようになった。当時、産経新聞中国総局長として現地に駐在していた私も連日、米国大使館前に出かけ、現状を眺めた。

 このデモは完全に当局に管理されていた。デモ行進をして、米国大使館構内に石まで投げ込む当事者たちはみな北京内外の大学の学生たちだったが、全員がバスで動員されていた。大学ごとに現場近くにバスで運ばれてきた男女学生たちは、バスを降りて、隊列を組み、大使館前へと行進していく。その間、道路から石を拾って、大使館にぶつけるのだが、大使館の前には中国人警官が並んで立っていて、普通のサイズの石を投げることは黙認するが、そのサイズが一定以上に大きくなると、すぐ停止させるという手のこんだ「デモ管理」だった。なにからなにまで中国当局がシナリオを描いた抗議デモだったのだ。

 今回の反日デモも、当局のそうした管理があることは明白である。ただし中国の国民一般の間では日本や日本人がそもそも大嫌いという向きが多いから、当局にとって「反日」の動きは放置するだけでも、盛り上がる。当局の管理はむしろ、どこで止めるか、である。反日が暴走して、「反中国共産党」「反中国政府」になってはならないのだ。