3.11当時、官房副長官だった福山哲郎参議院議員へのインタビューをお届けしている。

 この8月、福山氏は『原発危機 官邸からの証言』(ちくま新書)という、3.11、中でも原発事故対応に絞った回顧録を出した。歴史的な大事件の政策がどのように決定されたのかを、当事者として証言している。

 今回はインタビューの最終回として、原発事故発生時に菅直人首相(当時)が下した判断や行動の根拠、また原子力安全・保安院の組織的な欠陥について話を聞いた。

『過剰介入』を官邸から見るとどう見えるか

──菅さんが東電本社に乗り込んだこととか、あるいは現場視察に行ってどうしたこうしたということを「過剰介入」と批判する人がいる。それは官邸の側から見ると、どう見えるんですか?

福山哲郎氏(以下、敬称略) 「介入ということは、何らかの形で意思決定に影響を与えたということですよね。我々は相手から提起されたものに対して、政治として対応せざるを得ない状況がずっと続いたわけです。ベントするかしないかについて、ベントするなとは言えません。ベントの要請があったのは、もちろん東電からです。ところが、ベントができないと言う。じゃあ爆発の可能性があるから、避難させた方がいいんじゃないですか、と東電、保安院、安全委員長に聞いた。すると向こうは避難させた方がいいと言う。じゃあ避難させましょうと判断した。そういうやりとりです」

 「海水注入の話にしても注入を止めたわけではなくて、準備に2時間くらいかかると言うので、その間に再臨界と、塩水を入れることに関する影響についての確認をしてくれと言っただけです。我々が海水注入をやめろと言ったことは、一切ありません。我々は専門家ではないので、相手からの要請は聞かざるを得ないんです。何に対して過剰に介入したと言われるのか、よく分からないです」

──つまり専門家の意思を曲げさせるような知識や情報を持っていないということですか?

福山 「ないですし、そんなことをする気持ちもなかったですね。ただ2~3日目あたりから東電や保安院(経済産業省原子力安全・保安院)や原子力安全委員会から、状況に応じて何らかの適切なサジェスチョンをもらえるとはだんだん感じられなくなった。気をつけなければいけないという思いを、総理、官房長官をはじめ僕らは、日が経つにつれ意識したと思います」