G8サミットが5月18、19の両日、ワシントン近くの米国大統領山荘キャンプデービッドで開かれた。かつては世界の針路の舵取りとして、きらきらと輝いたこの主要国首脳会議も、今ではすっかり勢いも志も失い、空洞に近い行事になったというのが総括の印象だった。
私は新聞記者として、1975年の第1回、パリ郊外のランブイエでの首脳会議からサミットを考察してきた。当初の時期こそ現地取材はしなかったが、第5回の東京サミットはワシントンからカーター大統領(当時)に同行して、報道にあたった。それ以後、サミットの現地での取材は10回ほどになるから、日本のメディアでも最長の報告者の一人だと言えよう。そんな過去の経験を踏まえて眺めると、今回のサミットはことさらに斜陽、落日の観が強いのである。
米国のかつてのリーダーシップはどこへ
さて、では具体的にこの第38回サミットのどんな点に空洞や衰退が目だったのか。
第1は、主催国の米国の指導力の衰えだった。オバマ大統領のリーダーシップ欠如と評してもよい。
この先進国首脳会議のそもそもの発端は、東西冷戦中、共産主義のソ連と対抗した米国主体の西側自由民主主義陣営の主要国の結束だった。最大の主要課題は経済であっても、ソ連圏の計画経済に対抗する自由な市場経済のシステム向上という命題の背景には米国とソ連の軍事対決、政治対決があった。
そうした環境での西側のリーダーは間違いなく米国であり、当時のG6から始まり、G7となったサミットでも米国の指導性はストレートに明示された。ソ連の共産党体制が崩れ、冷戦が終わった後の混乱期のサミットがやがて民主化されたロシアを加えてG8となっても、唯一のスーパーパワーの米国の主導は言わずもがなの実態だった。
だがオバマ大統領は、指導力の発揮など米国の特別な役割を忌避しがちな傾きがある。その傾向が今回、米国経済の不調と大統領選挙の激化によってさらに強められた。オバマ氏に、国際的な場での力強いリーダーシップからさらに腰を引かせる効果を生んだのだ。ギリシャやフランスなどと同様に自国も経済、財政上の悩みを抱えたオバマ大統領が強い指導性を発揮できないのは自然だとも言える。欧州の経済危機に米国経済が引きずりこまれるような言動は、特に選挙の年にはタブーだろう。
オバマ大統領は当初、このG8を地元のシカゴで開く予定だった。だがその後、唐突な形で場所をワシントン北100キロほどのキャンプデービッドに変えた。メリーランド州の丘陵地帯にあるこの広大な山荘は自然の環境こそよいが、なんの変哲も情緒もない地域である。無人の一帯とさえ言える。こんな場所に各国首脳を隔離してのサミットとなった。