ニッケイ新聞 2012年3月21日

 私達が住む「ブラジル」が現在のような多文化が入りまじった形になったのは、どのような経緯からか。移民はその文化形成にどんな役割を果たしているのか。そして、ブラジル文化は世界にどのような影響を与えているのか。

 座談会はこれらをテーマにして、ブラジル文化に詳しい岸和田仁(ひとし)さん、ポルトガルに駐在歴のある小林雅彦さん、モザンビークに3年いた中山雄亮さんの3人に参加してもらい、深沢正雪編集長が司会をして1月31日にニッケイ新聞社内で行なわれた。

 ポルトガルのポ語と違いについての興味深い指摘から、イタリア移民が及ぼした食やノベーラへの影響、さらにアフリカのポルトガル語圏諸国の文化についてまで縦横無尽に話題は展開した。ここでは各人の役職とはいっさい関係なく、個人的な意見や体験、思いをざっくばらんに語ってもらった。(編集部)

第2回 独自性模索した20世紀初め

なぜ伯国にはノーヴァ・リスボアがないのか

深沢 前々から不思議だったんですけど、例えばイタリア移民だったらノーヴァ・トレント(Nova Trento、新トレント)とかノーヴァ・ヴェネーザ(Nova Veneza、新ヴェネチア)とか、祖国の町の名を移住地につけて、それが発展して町になって今も名前が残ったりしてますよね。ドイツ系だったらノーヴァ・フリブルゴ(Nova Friburgo、新フライブルク)とか。

 でも、なぜかノーヴァ・リスボア(編注=ポルトガルの首都リスボン)がないんですよね。

岸和田仁さん

岸和田 やっぱり憧れの対象は、ポルトガル人もリスボンじゃなくてパリなんでしょうね。

小林 あのマルケス・デ・ポンバールって広場があるんですけど。

岸和田 リオじゃなくて、リスボンの方ね。

小林 そうです、リスボンです。そこからアヴェニーダ・ダ・リベルダーデがあって。

深沢 あっ! アヴェニーダ・リベルダーデですか。身近な名前がリスボンにも(笑)。そこから由来しているんですかね。

小林 そうでしょうね。リベルダーデ大通りは、パリのシャンゼリゼをモデルにしている。

岸和田 つまり、リスボンもパリを真似している。