これまで福島第一原発事故の被害を受けた自治体を回って、避難計画や訓練の有無や内容をたどってきた。そして、分かってきた。

 原子力災害対策基本法が想定する「避難区域(EPZ)」は原発から直径「8~10キロ」でしかなく、その外側にある南相馬市や飯舘村はひどい汚染を受けたのに、避難訓練も計画もなかった。EPZ内にある富岡町ですら、バスの手配もなかった。

 つまり、国には原発事故の時に住民をどうやって逃がすかという「原子力防災」の準備がないに等しかった。

 もう1カ所、確かめておきたい場所があった。福島第一原発の敷地がある双葉町と大熊町である。「さすがに『立地自治体』なら何か準備があったのではないか」と他の自治体でも聞いた。確かに、震災発生夜の3月11日午後9時23分には、最初の国による避難地域として、原発から半径3キロ圏内の避難と3~10キロ圏内の屋内退避が指示されている。

双葉町民がいまも避難している埼玉県加須市の騎西高校校舎(筆者撮影、以下同)

 そこで双葉町の井戸川克隆町長に話を聞きに行った。2月11日のことだ。双葉町役場は、埼玉県加須市という街に移転していた。福島県取材から戻って都心から、また東武鉄道伊勢崎線に乗り、1時間半ほどかかった。町外れの田んぼの真ん中に、生徒が減って廃校になった高校跡があった。そこに役場が入っている。

 駅からタクシーしか交通手段がない(行ってみたら、高校跡地に500人近い町民が暮らしていて、その事実にも仰天した。が、今回は詳しく報告する紙数がない)。こんな不便なところで避難生活を続けるのは大変だろうと胸が痛んだ。

訓練というより「演劇」のようなもの

 震災1周年を1カ月後に控えて、取材が殺到していた。土曜日の午後、視聴覚教室だった部屋に取材陣を「テレビ」「新聞」「フリー・雑誌」と3グループに分け、全部で6時間近い取材に、井戸川町長は丁寧に応じていた。幸い、フリー記者は最後のグループであり、私ともう1人しかいなかったので、詳しく話を聞くことができた。

──原発事故に備えてどんな訓練をしていたのか教えてください。

 「訓練? いや、あれは訓練というより『演劇』のようなものでした」