日米同盟なくして日本の安全保障政策は成り立たない。残念ではあるが現実である。昨年の政権交代以降、鳩山由紀夫政権の対米姿勢や普天間問題に対する優柔不断とブレで日米同盟は再び漂流し始めた。安全保障政策が揺らぐのはまさに国家の危機そのものである。
20年前に深刻な事態に直面していた日米同盟
「再び」と書いたのはつい20年前、日米同盟が機能不全に陥っていた時期があるからである(便宜上「第1次『同盟漂流』」と呼ぶ)。我々は記憶に新しい経験と歴史の両方から学び、同じ愚を繰り返してはならない。
時あたかも、今年2月「4年毎の国防計画見直し」(QDR:Quadrennial Defense Review) (以下「2010年QDR」という)が公表された。
QDRは合衆国法典・第10篇「軍隊の戦力構成見直し法」(1996年発効)に基づき、4年に1度、国防省が議会に報告することが義務づけられたものである。
今後20年間の安全保障環境を見通し、国家防衛戦略を具現化するため、戦略、戦力構成、即応態勢、戦力近代化計画、国防インフラ、予算計画等を明示するものであり、米国が国防戦略として何を重視し、どういう方向性を目指しているかが分かる。
細部は後述するが、米国は足かけ9年に及ぶテロとの戦争で疲弊しつつあり、大きな戦略転換を余儀なくされている。
同盟国の戦略転換は日本の安全保障への大きなインパクトに違いない。同盟が再び漂流し始めた今、今後、日米同盟をどう回復させればいいのか。米国の戦略転換にどう対応すればいいのか。第1次「同盟漂流」を振り返るとともに、2010年QDRをヒントに考えてみたい。
第1次「同盟漂流」
冷戦後の1990年代は日米関係でも最悪の「失われた10年」であった。1991年、冷戦後における国際新秩序構築の試金石と位置づけられた湾岸戦争で、各国ともにこぞって血と汗を提供する中、日本は総額130億ドルのカネで事を済ませ、汗も流さなかった。
冷戦最大の受益者と揶揄された日本は、国際社会から「小切手外交」の汚名と侮蔑を受けることになる。米国でも「カネにしか価値観を有しない」と顰蹙(ひんしゅく)を買い、日米同盟は漂流した。
筆者はこの頃、米国留学中であったが、米国世論の嫌日感情の高まりは想像を超えるものがあった。当時、ワシントンの防衛駐在官でさえ、国防省高官のアポイントが取れずペンタゴン(国防省)に事実上の立ち入り禁止を食らったという。