西郷隆盛は「政の大體は、文を興し、武を振ひ、農を勵ますの三つに在り」と述べている。米国の占領政策と押しつけ憲法で、文が歪められ武が放棄させられた日本である。今またTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で農が揺らぎ、日本丸は沈没寸前である。
国の最高責任者が莫大な贈与を受けながら違憲違法の脱税をし、他方で自衛隊の最高指揮官であることを知らない人間が首相になる。日本は道義も責任感もない人士をリーダーに据える無責任国家に成り果てており、早急の軌道修正が求められている。
国家には安全保障の視点が不可欠
各種の調査を見れば、日本が好かれる国であることは確かである。国民は外国人に対して親切であるし、犯罪も少ない。歴史もあり、アジア諸国で消失した文化遺産も保護されている。
科学技術が進んでおり、自然環境の保全もよく山紫水明である。また、有償無償を問わず条件の緩やかなODA(政府開発援助)をはじめとする支援は歓迎されている。
しかし、国連の常任理事国入りをはじめ、国際機関やその部局の長などの選挙では負けることが多い。言うなれば、外交力が必要な局面においては、日本は多くの場合後塵を拝する結果に終わっている。
日本が然るべき力を獲得するためには、国際社会の力学的な構造を知らなければならない。すなわち、武力を行使することは控えるとしても、国家においては軍事力という背景が不可欠であるということである。
米陸軍の高級幹部コースにいた時、クラスメートから耳にタコができるほどTAXという言葉を聞いたし、その中の幾人かは夜間のMBA(経営学修士)コースに通っている(またはこれから専攻する)と言っていた。
自衛隊と違って米軍将校はしっかり保障されるだろうに、さすがに資本主義の国だと、慨嘆とも感心とも違う感じを受けたことを思い出す。
その後、高級官僚が政治任用であるために、政権が代われば上級官僚は一斉に更迭されること、そのために新しい職場を探し出さなければならない運命が多くの人を待ち受けていることを知った。
将校といえども生涯の職業ではなく、税金のことや経営的な知識が不断に求められることが多いと聞くに及んで納得した次第である。
逆に言えばそうした転身の門戸が(個人の努力とも関わるが)大なり小なり開かれているということである。
これは、他面において、セクション単位ではなく、国家単位の人脈形成にもつながり、国民の各界各層に安全保障や国防意識が必然的に広がる要素ともなっている。
こうして、将校でも経営学修士号などを保有することに違和感はなさそうである。