「フレンドスター(Friendster)」「hi5」「マイスペース(MySpace)」・・・、これらはここ数年、友人たちの間で流行ったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の名前だ。

 しかし、今、それらのサイトにある友人たちのページを見ると、まるで「墓場」のようである。友人たちはいまだに会員として登録され、写真が掲載されている。そして「近況」や友人間でやりとりしたメッセージが表示されるが、それらはいずれも2年以上昔のものだ。その時から今まで一度も更新されていない。

 次から次へとSNSサイトを渡り歩いていた友人たちは、すっかりそれらへの熱から覚め、最近はもっぱらフェースブック(以下「FB」)に落ち着いている。

 数あるSNSの中で最終的に生き残り、市場を席巻したのはFBだった。FBの会員数は全世界で4億人強と言われる。中でも、米国のメンバー数が断トツに多い。

 FBがこれほど受け入れられた理由としては、実名で登録すること、あらゆる年齢層に受け入れられたこと、ビジネスやイベントの企画に有効なことなど、様々な要因が挙げられている。

 しかし、最近になってFBの別の側面が話題になっている。それは、これまでのSNSサイトよりも、FBにはより強い中毒性があるということだ。

 筆者の周りにも、過去に交際したガールフレンドたちの近況を読むのが趣味になっている人、勤め先でも通勤途中でも暇さえあればFBをチェックしている人、FBに写真やコメントを掲載するためにイベントを企画しているような人など、具体例を挙げればきりがない。

 この1カ月、多くの人とFBについて話し合ってきた。その結果、これまで様々なトレンドに巻き込まれることがなかった中高年のインテリ層ほど、FBへの深刻な依存症にかかっているという印象を受けた。

 以下、2人の事例を紹介しよう。

FBを巡る考え方の違いで離婚~大手IT企業に勤めるビル

 「僕の結婚生活はFBのおかげで終わったようなものです」。そう語ったのはビル(45歳)。彼は仏文学の博士号を持ち、シリコンバレーにある大手IT企業で部長級の職にある。

 FBには、自分の交際相手や結婚相手の名前を記載する欄がある。公表したい場合は、相手の了承を得なければならない。ビルの妻は、彼に何度も「あなたの名前を私の夫として公開していいか」とFBのメッセージを送った。彼女としては軽い気持ちだったのだろう。実際、多くの人が自分のボーイフレンドや夫の名前を公表している。

 しかし、ビルの受け止め方は違った。日頃から妻のFBページは「いかに自分たちの結婚生活が豊かで楽しいか」ということを写真やコメントで自慢するような内容になっている。ビルは、その様子が気になっていた。

 ビル自身が楽しかったり、彼女のためを思って企画したことよりも、人がうらやましがるようなことばかりを選んで掲載している。だんだん、それが気に食わないと思えてきたのである。

 2人は結婚してすでに7年経っている。ビルとしては、別段FBで公表しなくても友人たちは2人が夫婦であることを知っている。もとより、男として「私の妻は○○です」とネット上でわざわざ公表するのは、沽券に関わるような気がした。