私が暮らす埼玉県志木市は、妻が生まれ育った町である。人口約7万人。市のほぼ中央を流れる新河岸川の舟運によって栄えた商家町で、妻の先祖たちも江戸時代からこの地で様々に商いをしてきたという。

 今でも、往時を偲ばせる瓦葺きの屋敷がバス通り沿いにいくつも残っており、我が家を訪れる編集者や新聞記者は一様に意外の感に打たれている。

 池袋から東武東上線で約20分。東京メトロ有楽町線と副都心線も乗り入れている首都圏のベッドタウンだと思い込んでいた町に、思いがけず歴史の営みを発見して意表を突かれるらしい。

 もっとも、私はさらにひどくて、妻と結婚するまで、志木という町も東武東上線という鉄道路線も存在を知らなかった。

 神奈川県茅ヶ崎市で育った私は、東京駅と新宿駅と上野駅はしばしば利用していたが、池袋駅には降りたことさえなかった。妻と出会わなければ、池袋とも志木とも縁はなかっただろう。

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 長男の誕生と共に志木に移り住み、はや16年になる。代々続く旧家の一人娘の婿さんということで、ご近所の方々にも受け入れられて、私は日がな文章をいじくりながら暢気に暮らしている。

 現在高校1年生の息子が生まれたばかりの頃は志木の町にも馴染みがなく、私は乳母車を押しながら一つひとつ通りを覚えていった。

 息子が1歳半になると、自転車の補助椅子に乗せて、市内に点在する公園に連れて行くようになり、一気に行動範囲が広がった。

 保育園への送り迎えでは人間関係が広がった。保育士さんたちや、息子の友達のおとうさん、おかあさんと知り合いになり、駅前などで顔を合わせるとどちらからともなく挨拶を交わす。

 息子が小学校に進むと友達が家に遊びに来て、買物に行くスーパーマーケットの店員さんたちにも顔馴染みができて、志木の町も居心地がよくなってきた。

 志木に移って10年が過ぎた頃にふと思ったのは、新築のマンションに引っ越してきた人たちからすると、公園で子供と遊ぶ私は町の古株に見えるかもしれないということだった。実際、そんな目で見られていると感じることもあり、それからさらに5、6年が過ぎた今では古株度はさらに増しているのだろう。