インド洋給油活動が終了、海自艦に撤収命令

インド洋での給油支援活動のため、神奈川県・横須賀の海上自衛隊基地を出航するイージス艦(2002年12月)〔AFPBB News

 今年3月3日、衆議院本会議において平成22(2010)年度予算案が民主党、国民新党及び社民党による賛成多数を以て成立し、年度内成立が確定した。

 この政府案によると、平成22年度の防衛関係予算(歳出ベース)は、4兆7903億円であり、日本の総人口約1億2700万人で割ると、赤ちゃんからお年寄りまで日本人1人当たり平均約4万円を防衛に対して投資していることになる。

 年間約4万円が投資されている我が国の防衛力は、一種の公共財である。そこで、これだけの投資がなされている公共財としての防衛力について、政治との関係を視座にその役割と課題を考察してみたい。

 なお、ここでは防衛力と軍事力を区別せず、同等の意味として使用している。

軍事は政治に隷属する

 プロイセンの軍人だったカール・フォン・クラウゼヴィッツは、有名な「戦争論」の中で戦争の本質を2つの側面から分析している。

 1つは暴力性命題として「戦争の本質は暴力行為である」と分析し、他方、政治性命題からは「戦争とは、他の手段を以ってする政治の継続である」と分析している。

 クラウゼヴィッツが分析した2つの命題は、現代の我々に何を投げかけているのであろうか。暴力性命題からは、軍事力(防衛力)は、相手の暴力行為に打ち勝つだけの強さを持った力でなければならないこと、また同時に暴力行為を行う手段であることから厳しくコントロールされるべきであることを示している。

 政治性命題からは、戦争(軍事力の発揮)は政治が達成しようとする目的、目標を達成する1つの手段にしか過ぎず、軍事は政治に隷属することを示している。

 軍事の政治への隷属は、「政治に対する単なるイエスマン」を意味しているわけではなく、軍事力(防衛力)の発揮により達成しようとする目標が政治の目標と整合していること、すなわち、政治と軍事の目標系列が一致していることの重要性を示している。

 立場を変えた観点から言えば、政治は軍事に対してしっかりと「何のため」に軍事力を使用するのか、すなわち「国益」あるいは「国家目標」を明示すべきである。

我が国は何を国家の目標としているのだろうか

 明治23(1890)年3月時の内閣総理大臣、山縣有朋は「国家独立自衛の道二つあり、一に曰く主権線を守禦し他人の侵害を容れず、二に曰く利益線を防護し自己の形勝を失わず。何をか主権線と謂う、疆土是なり。何をか利益線と謂う、隣国接触の勢、我が主権線の安危と緊しく相関係するの区域なり」と意見書「外交政略論」において述べている。

 今日、山縣が主張した主権線・利益線論がその後の日韓併合、日本の満州進出につながったと批判されているが、今日的に考えれば、主権線とは我が国の安全の確保であり、利益線とは国家および国民の繁栄であり、一般的な表現をすれば我が国の「生存と繁栄」を希求したことにほかならない。